episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
プロローグ
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 心地よい風が、裾根を渡り、湖へと吹き抜けていく。
 湖面は、穏やかな午後の陽を受けて、キラキラと輝いている。
 ウォーナル市は、もう初夏に差し掛かろうとしていた。
 火口に溜まった水たまり――カルデラ湖には、国の守護神とされている女神ガルーダの住まう白亜の塔が、いつもと同じ優美な姿を映している。そのちょっとした物見櫓ほどの建物は、湖を囲み擂り鉢状の傾斜に造られた町の、どこからでも望むことができた。
 一方、町の中にも、女神の塔と並び一際目を引く場所がある。
 湖岸に程近いところにある、広大な面積を持つ屋敷である。
 とにかく広い。小規模だが森も含まれた庭や、馬場や菜園。建物自体が数棟より構成されていて、中庭には手入れの行き届いたバラ園や、国内でも珍しい噴水までもがある――その総てが強固な塀で囲まれており、どこぞの城か何かのような佇いを見せていた。
 美しい城郭と美しい塔。それだけでも他の追従を退けるには十分だが、さらに象徴と成りうる存在があった。メインストリートに集う、たくさんの貴婦人たちである。
 貴婦人たちは、煌びやかな衣裳や宝石で着飾り、日傘を差している――小犬を連れ歩いている者もいた――皆、小鼻を聳やかせては、舗装された通りを行き交い、ショッピングを楽しんでいる。
 彼女らの姿を、視界という額縁に収めたとき、ウォーナルの町はことさら優雅で美しく見えた。この一枚絵の中では、馬車から積み荷を降ろす商売人の姿ですら、どこかのどかで風情がある。
 日差しはあくまでもやわらかで、空は蒼く澄み渡っている。東の天上には、いつものように月がすべてを見下ろしていた……。
 何もかもが普段と同じ。どこまでも平和な午後だった。
 と――。
 突然。その静止画像の片隅に、閃光が奔った。
 稲妻のような光である。
 光は、一瞬のうちに大気を突き抜け、町の隅々へと到達する。
 貴婦人たちも、商人も――その時そこにいたすべての人間たちは―― 一様に、光が放たれた方向に目を向けた。そして、茫然とそれを見つめていた。
 町の中央に位置する湖岸の城――この国の主導者であるバランゲル八世が居城とする王家の屋敷――、
 その屋敷から、烽火のような一条の煙が上がっていた。

「先生!」
 呼ばれて、彼は足を止める。
 振り返ると、廊下の向こうから駆けて来る少女の姿が目に入った。
 少女は、長い髪と白いワンピースとを靡かせながら、息を切らせて走ってくる――数秒を待たずして、彼のところまでやって来た。
「どうしたんです? お父上様たちと、もうお逃げになられたものと思っていましたが……」
 そう言って、彼は眉を寄せた。整った顔に、今は疑念の表情が見て取れる。
 少女は――相当長い間走り続けていたのか――しばらく胸を押さえ、息を詰まらせていたが、
「……い……の。いないの、どこにも」
 と、か細い声を上げて、彼にしがみ付いてきた。
 金色かと思う程明るい色の瞳が、不安を張り付かせ、彼を見上げている。
「いないって……もしかして?」
 彼が呟くと、少女は震えながら頷いた。
「えぇ……いないの。ガルーダがいないのよ……」
「女神様が!?」
 驚きつつも、今にも倒れそうな少女の肩を抱く。彼の長い金髪が、微かな音を立てて流れ落ちた。
「交信も繋がらないの。ねぇ、先生。ひょっとしてガルーダは!?」
 ほとんど叫び声のような泣き声を上げて、少女は彼の服に顔を埋めた。
「どうしよう……ガルーダにもしものことがあったら……私……」
「姫様……」
 その彼の胸元にも届かない頭を、優しく撫でてやる。しかしそれだけでは、到底彼女の不安を払拭できそうもない。
 つい先日誕生日を迎え、十四才になったばかりのこの少女は、女神と交信する能力を授かった『巫女』であった。ガルーダと同じ金色をした瞳は、いわば契約の証とでも言うべきであろうか。バランゲル八世の息女にして、空の女神に魅入られた風の娘―誰もが少女を聖王女だと崇め、敬い、讃え……そして敬遠した。
 もちろん彼とて彼女を敬っていないわけではない。将来仕えるべく主としての距離も置いている。
 ただ、彼にとっての少女は、教え子であり、それ以上に妹であった。
「大丈夫……」
 彼は、優しく少女を押し離すと、彼女の目を見据えて微笑んだ。
「……大丈夫ですよ。女神様のことですから、身の危険を感じられて、どこかにお隠れになったのでしょう」
「でも……」
「それより、早くお逃げ下さい。ここももう駄目でしょう……。おそらく、一時間以内には反王権派のゲリラたちが侵入してきます」
「でも……」
 少女が同じ言葉を繰り返した――その時。
「ひ〜め〜さ〜まぁー!」
 少女が走ってきた方向から、胴間声が飛んできた。
 同時に、金属製の甲冑に身を包んだ大男が、大慌てですっ飛んでくる。
「お捜ししましたぞ! 急にいなくなってしまわれるのですから……。おぉっ! リオル殿もご一緒でしたかっ!」
 いちいちのオーバーアクションである――しかも大声。さらには、時代遅れの全身鎧がガッシャガシャと小煩い音を立てる。どこから見ても、大男の出で立ちは失笑を買わずにはいられない。
 しかし、逆にその滑稽さが幸いしたのか、少女は――ほんの僅かだが――初めて安堵の表情を見せた。
「アル……」
「はい!」
 大男は大仰に頷くと、
「さ。とにかくお二人とも早く! もうすぐここも火の手に包まれます」
 そう言って、恭しくも半ば強引に少女の手を取る。
「でも……わたし……」
 と、少女は手を引かれた斜めの姿勢のまま、困惑した視線を宙に這わせた――大男と彼とを交互に見、小首を傾げる。
「それに、先生が……先生は逃げないの?」
「――ご心配なく。僕も一緒に行きますよ」
 と、彼。返答しながら、廊下の向こうに目をやる――その視線の先からは、すでに喧騒の声が聞こえ始めていた――思わず、眉を引きつらせ嘆息するが、少女に向き直ると優しい笑顔になって彼女の両肩に手を乗せた。
「……大丈夫ですって。安全なところに行って、姫様の体調が落ち着けば、きっと女神様も応えて下さるはずです」
「でも……」
「姫様、リオル殿の仰る通りです。なにより今は、御自分の身の安全を第一にお考え下され」
「…………でも」
「姫様!」
 彼が肩を揺さぶる。すると、少女はのろのろと顔を上げ、消え入りそうな声量で尋ねた。
「……戻ってこれるかしら……ここに。それにガルーダも……」
「もちろんです!」
「もちろんですとも!」
 彼と大男――二人の男は、同時に、そして確信を込めて頷いた。
 それを見て、少女の心は決まったようだった。
「……わかったわ」
 躊躇いながらも、彼らの言葉を承諾する。
「――行きましょう。大丈夫よ、ガルーダともきっと会えるわ」

 その日。
バランゲル王家は、百五十年余り続いた君主の座を、ついに明け渡すこととなる。
 王都は反バランゲル派のゲリラ軍に占拠され、城に居住していた王族は、皆散り散りに放逐された。
 刻を同じくし、国の守護者である碧の巨鳥――女神ガルーダも、突如姿を消す。
 その行方は杳として知れないまま――また、元・バランゲル王国に新たな主導者が収まることもないまま、年月は流れた。
 そして――、
 国王不在のまま、早くも三回目の初夏が訪れようとしていた。
 王都ウォーナルから北へ、二十日ほどの場所にある、貿易都市アマトス。
 そのアマトス市から、話は始まる。

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