episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
MEMORY 1 詐欺師のお仕事(1)
前へ | 目次へ | 次へ

「そ、そんな! 話が違うではないですかっ!」
ほとんど悲鳴のような叫び声を上げて、男は勢いよく立ち上がった。
 ガシャン!
テーブルが激しく揺れ、カップがひとつ横倒しになる。そこから零れた液体が、レース地のクロスに広がり、黒い染みを作った。
 思わず――周りのテーブルにいた人々が、ギョッとした目をこちらに向ける。
 それを見て、男の後ろに立っていた二人の護衛士が、なだめるような小声を男に掛けた。
「御主人……」
「アルハン様」
「……あ、あぁ。そうだな……うむ」
 アルハンと呼ばれたその男は、ハッと我に返り、多少落ち着きない動作ではあったが、悠然とした態度で着席し直す。
 ウェイターがテーブルを拭いてコーヒーを取り替え――その頃には、周囲はもとの穏やかな雰囲気を取り戻していた。
 市内で唯一オープンテラスがあるこの軽食屋は、今日もかなりの客で賑わっていた。
 買い物中の家族連れや、観光客。それに、商談中の貿易商たち……。皆、それぞれの話題に花を咲かせては、ランチやドリンクを口に運んでいる。
 それらを横目で窺いながら――、
「……しかし、ですね。はじめのお話からしますと、考えにくいことでして。その、なんですかな、私どもといたしましても、少しでも頂いておかないことには……」
 と、ハンカチで汗を拭き拭き、男。
 この貧相な中年男が、アマトス市でも有数の勢力を持つ貿易商人であることは、まわりの誰もが知っていることだった。
 なにしろ、この店は彼の所有物件であったし。加えて、市内のレストランの三割が彼の名義で登記されている――そうでなくとも、黒スーツにサングラス姿の双璧を、公私構わず連れ歩く『変わり者』と散々ゴシップ紙に冷やかされていた。嫌味な金持ちとして、茶の間に安い話題を提供する有名人なのである。
「やはり、立場的なものもありますから…………」
 その大富豪のアルハン卿が、一心に頭を下げ、相手の気を揉んでいる――たとえ彼自身を知らなくとも、その光景は嫌でもまわりの目を引いた。誰もが密かにこちらの様子を窺い、互いの肘を突き合っている。
 と。
「立場も何も。はじめにこの話を言い出したのはあんたでしょう。ねぇ、アルハン卿殿?」
 視線の中心にいた人物が、唐突に口を開いた。
 わざと『殿』を強調した言い方をすると、手にしたティーカップに口をつける。
 年の頃は、二十才ほど。しかし、青年とも少年ともとれる――曖昧な風貌の若者であった。
 若者は、足を組んだ余裕の姿勢で目を閉じている。微笑んでいるというより、退屈から来る眠気に誘われているといった風で、彼の茶色の髪の毛も、川辺から流れる午後のそよかぜに吹かれ、眠たそうに揺れていた。
「そ――」
「それとも、まさか『忘れた』なんて仰らないですよねぇ?」
 と、アルハンが返答するかしないかの絶妙な間合いで、若者は問いを重ねる。
 相手が閉口したところで、一気にカップの中身――ただ苦いだけのエスプレッソ――を喉に流し込んだ。
「……相変わらず、ここのコーヒーは不味いね」
 言いつつも、お代わりの注文をウェイトレスに告げたりする。
 その慇懃無礼な態度もそうだが――なによりも、若者のラフな服装が、優美な装いの店内にまるでそぐわなかった。少なくとも、対面する貿易商一行とは釣り合わない。むしろ、双方の立場を逆転させたほうがしっくりとするくらいである。
 さらに補足しておくと、若者は、背後に――アルハンと同じく――男をひとり従えていたのだが、その男の粗悪な面相と汚い格好が、なおのこと二人をフォーマルさから遠ざける要因になっていた。
「だいたいね。俺が何度も忠告したのに、聞こうとしなかったのは誰でしたっけ?」
 そう言うと、若者は目を開いた。
 その双眸は、紫水晶を思わせるような薄紫色で――まわりのどよめきが一瞬強まる。彼もまた、ある意味この町で有名な存在であった。
「うぐっ……しかし!」
 虚をつかれ、明らかに狼狽するアルハン卿。
「私に……。私をそそのかしたのはあなたではないか!」
 小刻みに肩を震わせ、今にも卒倒しそうなほど顔を青ざめさせると、テーブル越しに若者に掴みかかる――もっとも、両サイドの黒ずくめに押さえられ、もがくので精一杯であった。
「そうだっけ?」
 と、若者。ケロリと言う。
「俺はただ、あんたが商業連合への上納金をごまかしたい――って言うから、そのやり方を教えてやっただけだろ? 脱税がバレたのは、あんたがろくにチェックも入れないまま放っとくからだしぃー」
「なっ、何を言っているのかね! そんなデタラメを! ち、違う。断じて違うぞ!」
 いきなりの爆弾発言に、半泣きになりながら、それでも必死に否定するアルハン卿。
 ただすでに時遅く――まわりの視線は零度以下に下がっていたが……。
 それはともかく。なおも、若者は続ける。
「そもそも、素人判断で迂闊なのが原因なんだよ。それを今さら掘り返して少しは責任取れ? ったく……あきれて笑っちゃうよね〜」
 実際、さも可笑しそうに笑みを浮かべる若者である。ただその目は――前もって今の状況を確信していた――明らかにこうなることを知っていた者の目だ。
 若者は一度肩を竦め、そして、不意に真顔になって眼前の男を見据えた。
「――あくまでこれは、あ・な・た……の過失ですよね。アルハン卿殿?」
「………………」
 アルハン卿はというと、茫然として言葉もない。
 無言のまま、がっくりと項垂れた。
 それを勝手に返事と見取ったのか、
「んじゃ、失礼させてもらいますよ」
 そう言って、若者は立ち上がった。
 店の出入り口へと足を向け、二、三歩進む。
 と、
「あ、そうそう――」
 思い出したかのように振り返った。
「ここの払い、あんたが持ってくれる約束だったよな? 悪いねぇ、一番高いCランチなんて頼んじゃってさ。それじゃ、またご用命がありましたらいつでもどーぞ」
 などと戯けた口調で言いつつ、会釈をする。ついでに――目線はアルハンに向けたまま――ヒラヒラと左右に手を振った。
「!?」
 慌てて、今まで彼に注目していたまわりの客たちが目を逸らし――それでまた、ニンマリと含み笑いになる若者である。
 そして――、
 今度は振り返らず。悠々と。若者は店から出て行った。連れの男も、ビクビクと様子を窺いつつ後を追う。
 店内には、愕然と――気を失っているのではないかと思うほど――焦点の合わない目でテーブルを見つめ続ける中年男と、その部下二名。
 そして、にわかなざわめきだけが残っていたが……。
「あ、あいつ!」
 不意に、黒ずくめのひとりが叫んだ。
「追うんだ!」
 スーツの男たちは頷き、素早く行動に移そうとする。しかし、彼らが走り出す前に、それを一括する声が響いた。
「待て! 追ってはならん!」
「なっ、ご主人!?」
「アルハン様! しかし!」
 悲鳴にも似た叫びが発せられる。
 信じられない! という顔で振り向くと、アルハン卿が――未だ茫然自失としたまま――静かに首を振った。
「追うな。これ以上は…………し……だ……」
 語尾はかすれて聞き取れなかったが、従順な部下たちには十分な鎮静剤であった。
「アルハン様……」
「わかりました」
 一様に、主人の悲痛な心内を察すると、何事もなかったかのように定位置――つまりアルハン卿の両背後に戻る。
 まわりのざわめきはまだ続いている。
 その場に居合わせた誰もが――店の関係者ですら――彼らを見ている。そして、冷笑したまま囁き合っている。
 その喧騒の渦の中心で――、
 ボソリと、アルハン卿は呟いた。
「……あの詐欺師が。よくもよくも、やってくれたな……」
 ただ、そのあまりに小さい声を聞き止める者は、誰もいなかったが。

前へ | 目次へ | 次へ