「……何だよいきなり」
引き攣りながら、振り返る。
名指しで指名――しかも、こんな大勢の前で、いきなり詐欺師を公言されるとは思ってもみなかったので、正直言うとかなり焦っていた。いくらならず者が集う路地裏の酒場とはいえ、彼の素姓を知らない者だって多少はいるのである。少なくとも、身の上を教えて利点になるわけがない――まあ、まわりはやたら騒々しい上、皆アルコールが入っている。気に留める者など誰もいないだろうが。
ともかく。ノースはますます気分を害して、声の発生場所を目で探った。
ほどなくして、当たりはつく。
戸口の所に、一人の男が立っていた。
若い――二十半ばほどの青年である。サラサラの金髪を肩まで垂らし、揃えたように垂れた切れ長の瞳。細身の体躯に整った顔立ちは、美形と言っても、過大評価にはならないであろう。
しかし、ゆったりとしたローブのようなものの上にマントという、それなりに目立たないような、当たり障りのない格好をしているが、本人がどうにも目立ち過ぎで――はっきり言って、男はかなり浮いていた。
例えるなら、野犬の群れの中に突如として現れた、血統書付きの愛玩犬といったところか。
その美形の男を見て、真っ先にノースが抱いた感想は、
(どう見ても。貴族……)
である。
(なんなんだよ、あいつは)
声に出さずに呟くと、そろそろと立ち上がる。
金髪の男はというと、入口に突っ立ったまま、落ち着きなく周りをキョロキョロと見回している。しばらくして、返事がないことを『聞こえなかった』と判断したのか――。
二、三度深呼吸した後、いきなり声量を上げた。
「あのぅ! いらっしゃらないんでしょうかぁ! 詐欺師の……モガッ」
声は、聞こえてきた時のように、唐突に打ち切られた。
「モガッ、フガッ、フググッ……」
意味不明の、フガフガと間の抜けた音が店内に響き――いや、正確には全然響いていないし、誰ひとり気にもしていない――唯一、一部始終を見ていたマスターだけが、何やら必死に訴える男と、その口を手で塞ぐノースの姿に、大ウケしていた。
「……! ゥウグ……ホグホゲグ……」
「ほ――――――っ、まだ言う気なんだ?」
と、男を後ろから羽交い絞めにして、ノース。
「かなり良い根性してるね、あんた……」
耳元で囁くと、そのまま有無を言わさず店の奥へ引っ張って行く。
カウンターまで来たところで、ドン――と、軽く勢いをつけて突き放した。
「ぷはぁぅわわわっ!」
男は、間抜けな声を上げ、半ば押しつけられるような形でカウンターに縋り付いた。しかし、訳が分からないなりに自由になったと知るや否や、すぐさま抗議の目をノースに向けてくる。
「……っと危ないなぁ。もう、なんなんです? あなたは?」
「――ぅさいな、このトンマ!」
即座に金色の頭を叩く。ノースのイライラは最高潮に達していた。
「そりゃ、こっちのセリフ。サギ、サギって、人のことデカイ声で言いふらしやがって、まったく……」
「え……」
男の目が丸くなった。
カウンターの向こう側では、マスターが、皿を片付けながらニヤニヤしている。
その初老の男と、目の前の少年――正直不良学生かと思っていた――を交互に見ると、金髪の青年は呟いた。
「……もしかして、ノースさん……ですか?」
「そぅだよ。悪かったねぇ、本人で」
と、ノース。上目遣いに男を睨む。
背丈はそこそこに普通――決して低い方ではない――ノースではあったが、それでも、男と比べると頭半分ほど差があり、自然と見上げる格好になった。
そのノースを、男はポカンと見返していたが……。ハッと我に返って、
「あ。い、いや、失礼しました。僕はリオルと言います。ウォーナルから来ました」
と、深々と頭を垂れた。
「ウォーナル……」
一方、ノースは、更に険しい表情になった。
(貴族決定)
胸中でつけ加える。
余談だが、ラムバーダン人を忌み嫌っているのは、主に貴族や王族といった上流階級者であった。特に、アマトスの南に位置する王都ウォーナルは、住民の過半数が貴族で、その分保守的である。実際――ノースは一度、ウォーナルから派遣された異種族狩りの網にかかり、強制的に収容所に入れられていたこともある。そういう経験もあって、彼の、貴族というものに対する印象は最悪だった。
そうとは露知らず。人の良さそうな微笑を浮かべて、美形の男――リオルは、話を続ける。
「正しくは、リフォンオール・リファイン・リテラ・ルアード=ランドラールと申しますが、長いですし……皆さんこう呼ばれるので、リオルで結構です。実は、町でノースさんの噂を聞きまして、どうしても手を貸して頂きたくて、お願いに参りました?」
「噂――?」
胡散臭そうな目を向けるノース。どんな噂かは、まぁ、聞かなくても分かる。
リオルは素直に頷き、
「はい。なんでも、アマトスで一番のサギ――あ、痛ッ!」
瞬間――その額に不格好なブリキの灰皿が炸裂した。
「いたた……」
「だから、それはもういいって……」
険しいを通り越し、ほのかな笑みのようなものを顔に貼り付けて、ノースは椅子に腰掛ける。
ついでに、カウンターの向こうをきつく睨みつけ――初老の男が笑いながら舌を出したのを見ると、ため息混じりに言った。
「そんなことより。あんたさ、ひょっとしなくても貴族だろ?」
「…ぅ……いたた……。あっ。あ、はい。一応、バランゲル王家の遠縁に当たるランドラール家の次期当主として、爵位も拝命していますが……それが、何か?」
「やっぱし。ね」
分かりきっていたことだが、当の本人に、しかもいけしゃあしゃあと言われると、なおさら腹が立つ。
ノースは頭を振ると、
「悪いけどね、ほか当たってくれる?」
そう言い放って、残りのビールを呷った。
「そんなぁ! 何でですかぁーっ!」
リオルが目を見開いて、悲壮感漂う叫びを上げる。
「何でも」
と、ノース。
「さすがに、貴族の言うことを素直に聞くほど、お人好しじゃないんだよね」
「……? どういう意味ですかっ! 僕は真面目に言ってるんですよ」
「俺だって真面目だよ」
意にも介さない。
「貴族が俺に〈お願いする〉なんて、あるわけないし。どーせ、何かろくでもないこと企んでるんだろ……」
「そっ、そんなことありませんよ!」
と、リオル。いかにも真摯な態度で、両手を激しく戦慄かせた。
「本当です! 騙してなんていません。だって――」
「やめときなって、兄ちゃん」
と――リオルを遮って、マスターが笑いかけた。
「こいつ、貴族アレルギーなんだよ。何しろ昔取っ捕まったこともあるからなぁ、なぁ?」
「………………」
言われて―ノースはぷいっと顔を背けた。
リオルは、その後ろ頭とマスターとを見比べると、首を捻る。
「捕まった? 空き巣でもしたんですか? それとも万引き?」
「違うよ。ほら、こいつはその……アレだからだよ」
「アレ……ですか?」
「ああ」
マスターはニヤニヤ顔のまま頷くと、肩を竦めた。
「なにしろ、ラムバーダン人だからな。貴族って言ったら天敵みたいなもんだろ?」
「は?」
沈黙。そして間――。
しかし、次の瞬間には、リオルの口からは素っ頓狂な叫び声が上がっていた。
「え、えぇえ――――っ! ラムバーダン人!?」
文字通りの『仰天』である。
大慌てでノースの正面に回り込むと、屈んで顔を覗き込んだ。
「………………」
薄紫の両眼が、憮然とした雰囲気を漂わせて、彼を見返している。
「……ほ、ほんとだ……。ラムバーダン人、だったんですね……」
「なんだ」
拍子抜けしたように、マスター。
「あんた、そんなことも知らないでこいつを訪ねて来たのかい?」
「――あ、はい」
と、リオル。
「アマトスにはずいぶん変わった詐欺師の方がいるってことしか……てっきり変わった性格の詐欺師なのかと思ってました」
「まぁ。こいつの場合、性格もずいぶんと変わってるがね」
「そうなんですか?」
「あぁ。めんどくさいというか、ややこしいっつーかな。いちいち細っけーこと言うし」
「はぁ」
「人の揚げ足取るのがやたら上手いし、まさに天職だな詐欺師は」
「ほー、ふーん……」
「――どうでもいいけどさ」
ふと、その会話にノースが割り込んできた。
「いつまで人の顔観察してるんだよ。暑っ苦しい……」
「……あ、すみません」
と、リオル。素直に謝るものの、視線は未だ〈君の瞳に釘付け〉状態である。
「でも、ラムバーダン人の方って、本当に瞳が紫なんですねぇ……。僕、初めて見ましたよ」
「そりゃ、そーだろうね……」
ノースは迷惑顔。
しかし、リオルはすでに彼の表情など眼中になかった。
まるっきり子供のように――その上熱に浮かされたように――目を輝かせ、ますます接近してくる。
「……ぅわぁ、しかしキレイな色だなぁ。ちょっと触ってみてもいいですか?」
「たわけ!」
すかさず、その頭に拳固が飛んだ。
「ぁ痛っ! もう、ポンポン殴らないで下さいよ」
「なんだったら、もう一発殴ろうか?」
リオルが頭を抱えると、ノースは拳を握りなおした。
「まったく。人が黙ってれば、目玉突き出そうとするし……。何なんだよ? お前!?」
「スミマセン……つ、つい、いつもの癖で」
「癖――――?」
ノースがとっても嫌そうに眉を寄せると、リオルは小さく頷き、
「あ……はい。実は僕、学者をしていまして、専門は歴史なんです。なにしろラムバーダン人って言ったら……ほら。やっぱりお目にかかること自体少ないものですから……あ――」
そこまで言ってから、唐突に畏まって、頭を下げた。
「す、すみません。ひとりの人間として、こんなコトするのはよくないですよね……失礼しました」
金髪が、万有引力に従ってサラサラとこぼれ落ちる。髪の毛に隠れて見えないが、生真面目に両目をギュッと閉じていることは容易に窺い知れた。
「本当に申し訳ありません!」
「ふ〜ん…………」
ノースは、カウンターに頬杖をつくような体勢のまま――この得体の知れない貴族の男を、改めて、上から下まで嘗めるように観察した。
確かに。
言われてみれば、彼の格好は学者然としていなくもない。
礼服でもない限り、裾も袖も長い厚手の長衣などを普段着にしている物好きは、さすがの貴族連中にもそうそういるものではないし、ましてや、一般市民はおろか、傭兵たちのような旅から旅の冒険者には甚だ不向きな服装である。
ノースには学者の知り合いはいなかったが、アマトスの運河沿いを歩いているのを見かけることくらいはあった――彼の記憶の中に存在する人間の学者たちも、何やらそんなスタイルだった気がする。
ともかく。
この貴族の学者は、自分に向かって詫びることに何の疑問も感じていないらしい……。
そう考えると、妙に可笑しくなってきた。
(貴族で、学者……ねぇ)
思わず相好を崩し――、
しかも、なんだか堪え切れずに、そのまま吹き出してしまった。
「ブッ……あはは――」
「な、なんですか?」
さすがに笑われるとは思ってなかったのか、リオルはびっくりして顔を上げた。
整った碧眼を、惜し気もなく見開いて。ついでに、ポカンと口も開け放しである。
その――美形にはご法度――であろう表情を、ニッコリ見返すと、
「――あ、あぁ、悪い悪い。つい、笑えてきちゃってさ」
ノースは、椅子ごと体を回転させて、リオルに向き直った。
「ちょっと、感心しただけだよ」
「はぁ?」
リオルが首を傾げる。
「僕、なにか変なこと言いましたか?」
「ふん……ホ〜ント物分かりの悪い奴だなぁ」
ノースは、意外にも素直そうな感じに微笑むと、肩を竦めた。
「――つまり、話を聞いてやろうって言ってんだよ」
「え。えええええっ! それじゃあ!」
リオルの表情が一変した。もちろん歓喜の方向に――である。
ノースが頷く。
「まあ、ね。とりあえず言ってみ――」
「は、はい。ありがとうございますっ!」
リオルは、大げさなほどペコペコとお辞儀をすると、
「じつは――」
急に真面目な顔になって、話し始めた。