episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
MEMORY 2 アマトス事件簿、二十四時 (5)
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 バタン!
 激しい音をたてて、扉が開く。
 部屋は、いかにも寝室といった造りで、窓からほどよく離れた場所に、天蓋付きの豪華なベッド。その横には小さいテーブルが並び、卓上に水差しとグラスが置いてある。床にはカーテンと揃いの鮮やかな絨毯が敷かれ、ただでさえ広い部屋を、なおさら広く見せていた。
 そして、窓からは柔らかな月の光が差し込んでいる。
 と――、
「!?」
 それを見て、ノースは思わず目を疑った。
 月の光りに照らされた、逆光の影がふたつ――窓のところに立っている。
 それはなんとも異様な光景であった。
 ――つい十何時間か前に見た泥鰌面が宙づりになっている。
 レンゲルは、寝巻き姿のまま首を絞め上げられていた。
 それも、女に――である。
 床に着くほどに長い、まるでヘビのように波打つ黒髪。
 不自然な程、細く長い指。それが、レンゲルの首とも肩ともつかない場所に食い込んでいる。
 女は、一糸纏わぬ姿で、その見事な肢体を青白い月光に晒していた。
「どうしたんで――」
 ノースの陰からリオルが顔を覗かせ――中を見るや否や、凍りついた。
「な――――!? な、な、な……」
 そのまま、へなへなと床に崩れ落ちる。
 と。
 女が―レンゲルの首を絞めたまま――こちらを向いた。
 狂気の色を宿らせた瞳。
 その瞳も、唇も、血のように紅い。
 女は、紅い唇をゆるい三日月型に歪めると、
「ほぅ……こんなところでラムバーダンを見るとはな……」
 と、静かに冷笑した。
「………………」
 黙したまま、ノースは険しい表情になる――と、ふと気が付いて、左に視線を振った。
 ベッドのすぐ傍に、二メートル弱の棒が立て掛けてある。
 棒の先端はリング状になっており、三方に槍のような突起が出ていた。
「リオル……」
 と、ノース。視線はそのままで、足下にしがみついている金髪に囁き掛けた。
「立てるか?」
「え!? は、はい。大丈夫です……なんとか……」
 リオルはそう言いつつも、震えが止まらない――その顔を、ノースが無理矢理左に回す。
「いた、いたた……やめっ、やめて下さいよ……」
「――あれって、そうなんじゃないのか?」
「え?……あっ!」
 それが目に入るなり、引き攣った表情のまま、リオルは叫んだ。
「そ、そうです! 間違いありません〈アナザー・オブ・ガルーダ〉です!」
「貴様ら――」
 女が、目をギラリとさせ、レンゲルを投げ捨てた。
 ドサリ――と鈍い音をたてて、ユニオンの幹部でヤリ手の貿易商だった男は、床に横たわる。
 すでに絶命しているらしく、ピクリともしない。
 女は、それには目もくれず、
「ガルーダの手の物か!」
 と、空気を震撼させるような絶叫を上げた。
「ひいぃぃっ!」
 リオルが、肝を潰して頭を抱える。
 ノースの方は、特に反応もせず、黙って女を見ていたが――、
 不意に、その表情を崩した。
「しゃあないね……『命に別状ない程度』だもんなー」
 ポンッと、リオルの頭に手を乗せ、深々と嘆息する。そして、左手に持っていたナイフを、右手に持ち替えた。
「あれのお相手は俺がしといてやるから、杖をしっかりキープしとけよ」
「え?」
 涙を浮かべたまま、リオルが茫然と見上げてくる。
 そこを、すかさず一喝。
「早くしろっ!!」
「は、はいっ」
 ノースが怒鳴るのと、リオルが杖に飛びつくのと、女が襲いかかってくるのは、ほぼ同時であった。
「貴様っ!」
 恐ろしい形相で、手を振り上げる女。その指先からは、針のような鋭い爪が伸びていた。
「ラムバーダンが、なぜガルーダの味方をする! あの女は、お前たちを追いやった王族どもと同類なのだぞ!」
 女の爪が、ノースの首を掻き切ろうと弧を描く。
 ノースは、体を捻ってその射程範囲から逃れると、擦れ違いざまに、女の背中にナイフを突き立てた。
ドシュ!
 血しぶきが飛ぶ――が、それは女の青い躯からではなく――、
「!!」
 ベッドの傍で、杖を抱えようとしたリオルが、声にならない悲鳴を発した。
 ボタボタッ―と湿り気がある音が、それに重なる。
「ひっ……ノースさん!?」
 爪が擦ったのか―ノースの額から夥しい量の血液が流れ出していた。
 頬を伝い、顎を滑り、次々と床へ降下していく赤い液体。傷自体は大したことないのだが、こめかみに近いせいか出血がひどい。
 あっという間もなく、彼の右半身は赤い色に染まった。
「のぉおすぅさぁ〜ん〜!」
「大丈夫――」
 ノースは上着の袖で額を拭うと――無論そんなもので血が止まるわけではないが、それ以上は気にもせず――リオルに苦笑いを返した。
「そんな声出すなよ。先生?」
「で……でもぅ〜」
 青ざめた顔で、リオル。彼の方がよっぽど痛そうにしていた。
「おのれぇ……」
 女が、苦痛に歪めた顔で振り返った。
「どういうつもりだ! ラムバーダンでありながら王族に肩入れするのか!?」
 ナイフを背に植えつけたまま、ノースを睨み付ける。その傷口からは、一滴の血も流れていなかった。
 それを見て、ノースはカクンと首を転けさせる。
「あーぁ。全然効いてないわ、こりゃ……」
 実際。ゴムの人形でも刺したかのように、まるで手応えがなかった。
「――殺す気でやったのになぁ」
「!?」
 物騒な姿で、物騒なことを言う。
 おおよそ冗談とも思えない口調であったが、ギョッとしたリオルに笑みを返しているところを見ると、やはり冗談であるらしい。
「貴様――」
 女が声を低くし、唸る。
 もともとアルトの声域ではあるが、さらに1オクターブ下がった――どうやら、相手があまりに自分の問いに無反応であるため、少々苛立って来たようだ。
「邪魔をするな! 何故、人間でないお前が人間に手を貸す?」 
 叫びつつ、第二波を捻込んでくる。
 ノースは――やはり女の問いには答えず――女の動きを観察しながら、腰の物入れに括り付けていたダガーを抜いた。
 そして、迫り来る手刀を寸手でかわすと、その軌跡の内側に踏み込む。
 一定の間隔を維持して、爪先と彼の頭は擦れ違い――女の攻撃は空を切った。
 そこを――通り過ぎていく女の背中にのし掛かるような体勢で――ノースは、女の腕に思いきりダガーを叩きつけた。
「ぐきゃああぁぁっ!」
 女が断末魔のような声を上げる。
 ややあって、ザクリ――と、今度は確かな反応もあった。
 女の右手は、ダガーに深々と貫かれ、床に縫い止められている。
 腕に引き摺られるような形で、女も床に倒れた。
「おのれ――」
 藻掻くが、床にガッチリと食い込んだ――しかもギザギザの反しが付いている刃を、分厚い絨毯から抜き取るのは容易ではない。
 右手だけ蜘蛛の糸に絡まったようなもので、それがますます女を苛立たせた。
「えぇい……小賢しい!」
 ダガーを引き抜こうと、自由な方の手で柄を握り締める。すかさず、ラバー製の靴底が、その手を踏みつけた。
「!」
「しぶといなぁ〜」
 と、ノース。首を傾げる。
 絶えずギラギラとした殺意の視線を向けてくる女を、見下ろしつつ、
「切っても血が出ないし、手応えもない……そういうあんただって人間じゃないんじゃないか。だったら、見た目フツーの俺の方が、よっぽどノーマルでしょ? なぁ?」
 と、背後で戦況を見つめるリオルに問いかけた。
「まぁ……普通は、裸で襲ってくる女の人なんて、いませんよね……」
 血色の悪い顔で、リオル。真面目に返答するが、なんか論点はズレている。
 と。
 不意に――というかようやく――。
 廊下の方から、慌ただしい声が聞こえてきた。
「急げ! 親方様の寝室だ!」
「賊を逃がすな――」
「――うわ。やっばいな〜」
 気勢を聞いて、ノースは苦笑いになる。
「この状態で踏み込まれたら、どう見ても俺が容疑者じゃないか……」
「そんなこと言ってる場合ですか! 逃げないと――」
 あたふたと、リオル。その彼を遮って――、
「フッ……フフフフ……」
 俯せのまま、女が嗤った。
「まぁいい……それはくれてやろう……どのみち手遅れだろうからな。我らの計画はもうすぐ成就する」
 そう言って、スルリと立ち上がる。
 ダガーは床に刺さったまま。しかも、女の手にはどこにも傷らしいものは見当たらなかった。
 女は、ノース――ついでにリオル――に向き直ると、
「せっかく命拾いしたのだ、その半端な命――せいぜい大事にするがよい……」
 と、ゾッとするような笑みを浮かべた。
 青い肌に、目と口だけが赤く浮かび上がり――、
「ひぃー」
 あまりの不気味さに、リオルは縮み上がった。
 ついに腰も抜けたらしい――わたわたと、よつんばいでノースの元に擦り寄ると、足にしがみつく。
「もぅ、いやだーっ! ノースさん、怖くないんですかっ?」
 ノースはというと――別段表情には何も出さず、平然と女を見返していた。もっとも、激しい出血のせいか、ちょっとボンヤリしている感じではあったが……。
「フ、フフフ……」
 女は嗤いながら、滑らかな動きでスルリと窓枠へ飛び乗った――うねうねと動く黒髪と相俟って、まるで巨大な蛇が窓に絡み付いたように見える。
「――フフッ……ハァハハハッ!」
 後はもうあっという間。
 窓から身を躍らせたかと思うと、夜空の闇に紛れて消えていった。
 ――最後に哄笑だけを残して。

 そして数分後。
 部屋の扉を開けるなり、使用人たちは仰天した。
「親方様っ!」
「ひいっ!……こ、これは!?」
 彼らの目に飛び込んできたのは、絨毯を染める赤い血痕と、冷たくなった主人の骸であった。
「お、親方様が!」
「えぇい! 侵入者を捜すのだ! まだ遠くには行っていまいっ!」
「捜せ!」
 口々に叫び、すぐに部屋を飛び出していく。
――その窓の外は、白々と明るくなり始めていた。

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