episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
MEMORY 3 豆台風接近中!? (2)
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「な、何ですか!?」
 轟音に続き、グラグラと地面が振動する。
 リオルは――ムッとしていたのも忘れて――悲鳴を上げた。さっそくバランスを崩し、尻餅なぞついている。
「地震!?」
「……いや――」
 ノースは体位を戻すと、あたりを軽く見回して呟く。
「木が倒れた……んじゃないかなーと思う。たぶん、ね……」
「ずいぶん自信なさげに言うんですね……」
「音がして、揺れただけじゃね……俺は林業経営なんてやったことないし、音だけでどんな木が倒れたとかまではわかんないね。まぁ、どっちにしろ――」
『単に木が倒れただけなら、そう気にすることもない』と言おうとしたところに、
 ドォオオーン――と、再び音が響いた。
「――どっちにしろ、なんかヤバそうだわな」
「ど、どうするんですか?」
「そりゃ、決まってる」
 当然! と言う顔で言うと、また轟音。
 今度は、ベキベキ、メリメリと、枝が軋む音もはっきり聞こえ――、
「なんか……近くなってません?」
 へたり込んだまま、リオルが不安げな声を上げた。
 確かに、音は連鎖的に接近して来ていた。しかも、激しくなりながら。
「こりゃ……木でドミノ倒しでもやってんのかねぇ。それとも、怪獣でも出たか……?」
 ノースは、不安定に揺れる地面に立つと、音の方向に目を凝らす。
 が。
 リオルの方が、先にそれを見つけた。
「あ! あれっ!」
「は?」
「あそこです!」
 叫びつつ、左側を指し示す。
「ん……?」
 ノースは顔を顰めて、焦点をしぼり込もうと努める――やがて、くねくねとした流曲線の
姿が、かろうじて確認できた。
「……蛇……か?」
 訝しげに呟くと、リオルが大きく頷いた。
「あれはシーサーペントです! 僕も実物は初めて見ますが、間違いありませんよ!」
「シーサーペント?」
「えぇ。体長十メートルほどの大蛇です。主に遠浅の海辺に棲息する肉食獣ですね」
「……えらい詳しいな……専門は歴史なんじゃなかったか?」
「そうですけど。弟が生物学が得意分野でして、その影響です」
「あっそ。学者ご一家なことで……大変結構―」
 そこまで言ってから、ノースはリオルを横目で見た。
「だけど、シーサーペントなら、なんでこんな陸のド真ん中にいるんだ? 海岸線まで、どう見繕っても百キロ以上はあるぞ? ま、どーでもいいけど」
「それもそうですねぇ、変わったシーサーペントでしょうか? どう思います?」
「だから、何でもいいって」
 ともあれ、大蛇であった。何やら木をなぎ倒して暴れている。ただ距離はかなりあるので、こちらに即襲いかかってくる、ということはなさそうだが。
(ほっときゃいいか……)
 そう思ったのも束の間。
「あ!」
 再び、リオルが声を上げた。
「なんだよ。今度は……」
 うんざりしつつ、大蛇に視線を戻す――が、別にどうということもない。相変わらず、常識ハズレなサイズの黒蛇がのたうち回っていて、木がなぎ倒されているだけだ。
 ――あえて言うとすれば、蛇は何かを追いかけているようだが……。
「ほら、あそこ! シーサーペントに追いかけられてます!」
「何が?」
「あそこですよ。見えないんですか?」
 のらりくらりとした返答に、痺れを切らしたのか――リオルは腰が抜けていたことも忘れて立ち上がった。ノースの腕を引っ張りつつ、
「あれです! ほらっ! 分んないんですか? ぅもう! じれったい! もしかして、目悪いんじゃありません?」
 と、言いたい放題。
「悪かったね……」
 図星をつかれて、ちょっと憮然とするノースであるが、さすがにリオルが何を教えたかったのかはもう理解できていた。
 シーサーペントの進行先――ほぼ鼻先を、一匹の獣が走り回っている。
 正確には、必死に逃げ迷っていた。サイズが大蛇のそれと比較するとどうにも小さいため、目に入らなかったのだ。
「犬だな」
 ポツリと言うと、
「狼です」
 即行で正された。
「いちいちうっさいなー。犬も狼も似たようなもんだろ?」
「違います! あれは乾燥した草原地帯などに生息し、子育てを家族で行うという珍しい種類の小型狼――ドールです。俗に、『野性に還った犬』とも言われている狼犬です」
 リオルは真面目な顔でうんちく三昧――学者の面目躍如といったところか。
 しかし、ノースは感心するどころか、その頭をポカリとした。
「結局似たようなもんじゃないか!」
 声を荒立て――そして、まるで何も無かったかのように――本来の方向へ、スタスタと歩き出す。
「!――ち、ちょっと!」
 慌てて、その手をリオルが掴んだ。
「助けないんですか!?」
「――なんで?」
 と、ノース。くるぅりと――やたらスローなペースで振り返り……と思いきや、乱暴に手を振り解くと、その勢いのままリオルに詰め寄った。
「あ〜の〜なぁ! あれはあれの事情で追っかけてるんだろ? 例えば……今夜の晩飯にするとかなんとか……知らないけど……。とにかくその弱肉強食にいちいち干渉してどうすんだよ。まさか、お前、動物全部が菜食主義者にでもなりゃいい――とか考えてるくちじゃないだろうな? 仮にそうだとしても、じゃ、植物はいいのか? 助けなくて? いちいちそんなこと言ってたらハテないだろ? それとも、家族愛がある狼犬は良くて、家族愛がない海蛇は駄目ってことか――」
 ほとんど間を空けずに捲し立て――いったん区切ると、重く深く息を吐いた。
「……どうなんだよ? リオル先生?」
「あ……」
 あまりの迫力――というか流れる舌鋒――に、リオルは目を丸くして、しばらく硬直していたが――、
 はっと我に返ると、妙に柔和な微笑を浮かべた。
「なぁんだ。ちゃんと、僕の説明聞いてくれてたんですね」
「――お前が、人の話を聞けって!」
 今度は肘で小突く。
 そうこうしているうちに、ドールとシーサーペントの立ち回りは、彼らの眼下――わずかに窪地になった場所へと、舞台を移していた。
「シャギャァァァッ!」
 威嚇の声を発して、執拗にドールを追いつめるブラック=シーサーペント。
 ドールの方は、巧みに身をかわしては、大蛇の鋭い牙から逃れている。
 しかし、悲しいかな――所詮、絶対的な体重が違い過ぎる二者である。次第にドールの動きは鈍くなり――ついには、太い木の根元へと追い込まれた。
「あぁ。危ないっ!」
 リオルが悲鳴を上げる。
 窮地に立たされたドールは、シーサーペントに向き直り、牙を剥いて精一杯の威嚇を試みている――が、どうにも疲労の色が濃く、息も荒い。体を揺すって呼吸していた。
 一方。相対するシーサーペントは涼しい顔。
 その――小柄なドールなどひと呑みにしてしまいそうな――巨大な口から、二股に分かれた舌をチロリと覗かせている。
 と。
 一瞬の睨み合いを破って、シーサーペントが行動を起こした。
 巨体を宙に押し上げると、ドールに向かって口を開く。舌と同じ色の口蓋からは、鋭い牙が現れ、大量の唾液が迸った。
 砲弾のような鎌首が、ドール目掛けて激進し――、
 哀れ、ドールは丸呑みに……、
 なってはいなかった。
「あぁ――っ!?」
 本日一番の〈叫び〉を、リオルが上げる。
 しかし今度ばかりはノースも、彼の行動をオーバーリアクションだとは思わなかった。
 何故なら――。
「へ……へ、へへ……変身しましたよっ! あれはウースですっ!」
 窮地に追い込まれたドールは――まるで手品のように一瞬で――人間の姿に戻ると、大木をスルスルとよじ登った。ほとんど、猿並みの身軽さである。
 リオルが、胸の前で両手を組み合わせ、うるうると感涙する。
「ウース族だ! 僕、もう感激ですよっ! ラムバーダン人が隣にいて、今また、ウースまで見られるなんて!」
「そう……そりゃ良かったね……」
 呆れつつも、ノースは木の上のドール――もはやそんな面影など無いが――を見つめた。
 木の上、地上から五メートルほどの太い枝元に、少年が立っている。四、五才ほどで、まだ子供子供した、ハッキリ言って幼児である。乳離れしたばかりで、見かけでは性別判断も難しいような……そんな子供だ。
 ちなみに、なぜ『少年』と分かったかというと――単純に、彼が素っ裸だったからである。
「……ビーストウースか……」
 呟くと、横でリオルが――至福の表情で涙を流しながら――首をタテに振った。
 ウース。
 ラムバーダン人と同じ亜人種であり――また、ラムバーダン人とは根本的に違う人類である。
 彼らは『人』と『それ以外』の、二つの姿を併せ持つ――平たく言えば、変身能力を有する種族で、世界人口の約一割を占めている。その割に、ほとんど目にする機会が無いのは、多くが部族だけの集落で生活する保守的種族であること、ラムバーダン人と同じように『人間』に歓迎されていないこと、普段は人となんら変わりがないので目立たないこと……などが原因であろう。
 さらに、ウース族の中にも大きく分けていくつか種族があるらしいのだが、やはりほとんど知られてはいない。せいぜい、動物に変身するから『動物のウース族』というレベルであった。
「しかし、こいつら何でこんな所に……」
「わかりません。でも……ふゥンっ!……近くに村があるのかもしれませんね」
 ノースの――本当は独り言なのだが――問いに、間髪入れずリオルが答えた。泪と鼻水を拭いて、そのハンカチを懐にしまう。状況が状況だけに、夢心地もすぐに引っ込んだらしい。真面目な顔に戻っていた。
「もしかしたら、その村が襲われたのかも」
「――あいつに?」
 首を傾げる、ノース。
「いくら化け蛇でもそれはないだろ? 動物はむやみに人間を襲ったりしないからな」
「でも――」
 と、リオル。
「現に、襲われてるわけですし」
「ま。そうだけどね」
 何にせよ、目標を失った顎は、空気を噛んだだけ。シーサーペントは、くぐもった呻り声を上げ、苦々しい目つきでビーストウースの少年を見上げた。
「木には登れないんだな……」
「……みたいですね。よかった。これならあの子も大丈夫だ」
 リオルの言うとおり――このまま膠着状態が続けば、シーサーペントが諦め、その結果少年が助かるということも十分考えられた。
 海蛇で、しかも超弩級に大きいとはいえ、蛇は蛇。蛇の攻撃手段は、『噛み砕き』か『締め付け』か――種類によっては『麻痺毒』もあるが、とにかくそんなものである。見込みのない獲物に、そう粘りはしないだろう。
 と、思いきや――。
「な、なんで!?」
 再三。リオルが悲痛な声を上げる。
 手も足も――正しくは首も尾も――出せず、打つ手がないはずのシーサーペントだが、即座に次の行動に出た――少年が登った木に体当たりを始めたのだ。
 ドスンドスンと、鈍い音をたて、幹を打ちのめす。木全体が大きく撓り、枝葉がパラパラと落下した。
 激しい縦揺れ。その中でも、少年は器用にバランスを取っている――それでも、こうもこの巨体がぶつかっていたら木の方が保たない。少年が放り出されるのは時間の問題だった。
「ね、ねぇ……」
 と、リオルが袖を引っ張った。
「――やっぱり、助けてあげましょうよ」
「そう。じゃあ助ければ?」
 冷たく言うノースである―――リオルの意図することを察して、すでに目を逸らしていた。
「ご自分でどうぞ」
「そんな意地悪言わないで下さいよ〜。僕に助けられるわけないじゃないですか!」
「威張んな〜!」
 ノースはリオルの首を掴むと、ぎゅうぎゅう絞め上げた。文字通り『絞首』で――リオルはあっけなく黙る。
「う。ぐぐ……」
 半分白目で、口からは泡――失神寸前である。
「ぐるじ、ひぃ〜」
「当然だろ。苦しくしてんだよ」
 と、ノース。そのまま緩めのスリーパーホールドに移行すると――リオルの耳元に口を近づけて、ポツリと囁いた。
「――んじゃさ、いくら出す?」
「ぅ、ぶはぁ……。こ、殺されるかと思った……え? は!?」
 ぜーはーと息を吐いて――しかし、一瞬後には、あんぐりと口を開けるリオル。
 声に出さずとも、十分言いたいことは分かった。
 ワン・モア・プリーズ?――そう書いてある顔を、ニヤニヤと見返すノースである。
「なにしろ、マヌケな依頼主を守りつつ、アレも助けるってことだろ?――となると、なかなか骨が折れそうだしねぇ……通常報酬だけじゃ足りないと思わん? あ。そろそろあっちは落ちそうだね〜」
 そう言って、何かのショーでも見物するかのように、額に手を当てる。
 そのあながち冗談とも思えない振る舞いに、リオルはゾゾーっと顔を青ざめさせた。
「わっ……分かりましたよ! 臨時手当でも何でも出します。プラスします! だからあの子を助けてあげて下さいっ!」
 やけっぱち気味に叫ぶ。
「よしきたっ」
 途端――ノースは『我勝てり!』という表情になった。リオルを解放すると、芝居がかった仕草で一礼して見せる。
「では、恐れ入りますが剣をお貸し頂けますでしょうか――リフォンオール・リファイン・リテラ・ルアード=ランドラール閣下?」
「……まったく。あなたという人は……」
 リオルはため息を吐くと、腰から細剣を外し、ノースに差し出した。
 酷い仕打ちに怒るわけでもなく――正直、それどころではなかった――激しく感情を変化させたためか、軽い目眩に襲われていたのだ。
 思えば――この異種族の若者と行動を共にするようになってから、疲労を自覚する機会が多くなった気がする。この数ヶ月の間、バランゲル王家のために奔走し、そんなことを考える余裕もなかったというのに……。
「ちゃんと助けてあげて下さいよ……失敗したら恨みますからね」
 幾分棘のある口調で念を押す。だが、一度しか言っていない本名を相手が記憶していたことに舌を巻いてもいた。
「……それにしても、よく僕の名前覚えてましたね。今まで間違えずに言えた人なんて、家族以外には誰もいなかったんですよ――記憶力良いんですねぇ〜、ノースさんて」
「まぁ、ね……」
 手放しで感心し始めるリオルに、苦笑を返し――、
 そして細剣を中身だけかっさらうと、ノースは急勾配の斜面を滑るように降りていった。
 七、八メートルを一気に下り、シーサーペントのところまで数秒で接近する。丁度、大蛇は体当たりのために肢体のバネを溜めているところで――そこを後ろから斬りつけた。
 蛇独特の鱗に包まれた体皮に亀裂が走り、鮮血が吹き出す。
「グギャアァァッ――!」
 怒号が入り交じった砲哮を上げ、シーサーペントは蓄えていた力を四方に発散した。その
衝撃は、今までとは違う横揺れとなり――ついに、木上の少年は足を踏み外す。
「あぁ っ!」
 それを見て、なるべく安全な場所を選んで隠れようとしていたリオルが、悲鳴を上げた。
 少年は真っ逆さまに地面へと落っこちていく――。
「だ、だめだ……」
 その後に起こるであろう無惨な光景に、リオルは目を瞑じた。
 もちろんそんなものはただの勝手な想像である。
 落下地点には、すでにノースが入り込んでいた。
「ほいっ……と」
 細剣を投げ捨てて、狼犬の少年が地面に激突する前に抱き止める。少年は見た目通りに軽く、さほどの衝撃もなく腕の中に収まった――すぐに降ろし、表情を窺う。
「平気か?」
「あ」
 少年は、一瞬目を真ん丸にして驚いていたが――ハッと気がつくと――もっと目を丸くして、大きく頷いた。
「うん。へーきだよ」
「そりゃ良かった」
 ノースは――少年にリオルのところまで下がるように指示してから――細剣を拾い直して、シーサーペントに向き返る。
 シーサーペントの方は、ひとしきりのたうった後、巨体をズルズルと動かして鎌首を持ち上げた。無愛想な、それでも十分怒りを表している両眼が、ノースを睨み付ける。
 紅い――気のせいかどこかで見たような瞳。それを見返すと、ノースは刃を大蛇へと据えた。そして、空いている左手を密かに背後に廻すと、
「悪いけど、助けるってことになったんで……まぁ、そっちが諦めてどっか行ってくれるなら、それに越したことないけどね……」
 と、返事が期待できない言葉を投げ掛けた。
 ところが、である。
 シーサーペントの縦長の瞳孔が、一瞬大きく開いたと思いきや――、
「……ぬ、ふふふ……。そうか貴様か。リリス様が言っていたラムバーダンは。これは思わぬ邪魔が入ったものよ……」
 と、その蛇の口から人間の言葉を口走った。
「!――しゃ、喋ったー!?」
 背後でリオルがパニックを起こしているが、ノースは眉ひとつ動かさずに――むしろ陰鬱な口調で言った。
「あぁ。まぁた、ウースなわけね……」
「ふふふ……」
 ニヤリと、シーサーペント――いやシーサーペントの変身種族――が嗤う。それで分かったのだが、その『嗤い』は、あのレンゲル邸に現れた女のものと同質であった。
「まぁ、そういうことだ。もっとも、その仔犬風情と一緒にされてはたまらぬがな」
「なんだよぉー!」
 と、少年が過敏に反応する。リオルの横で、彼の外套に包まって憤慨していた。
「フン――」
 シーサーペントは、リオルと少年……そしてノースの順で視線を巡らすと、
「まぁいい。リリス様には、ラムバーダンに手出しはするなと言われているが、構いはせんだろう……これ以上我々の邪魔になる前に、ここで始末してくれる」
 そう言って、ペロリと二股の舌で口元を舐め回した。
「…………」
 ノースは、その様子を黙って見ていたが――、
 不意に。
「俺だってね、あんたみたいなのとまともに何するつもりなんて、サラサラないんだよっ!」
 叫んで、後ろに跳び退いた。
 離れ際に、左手で握っていたものを投げつける――掌に収まるほどのそれは、シーサーペントの顎に当たり、砕け散った。
 パリン――。
 特徴のある乾いた音が上がり、中の液体が、黒光りする鱗に降りかかる。
「!?――何のつもりだ? むぅ、これは……」
 表皮を流れる水の匂いを嗅ぎ、訝しむサーペント。
 一方ノースは、これ以上ないくらいの〈不敵な微笑み〉を目の端に寄せると、同じ物――アンプル剤のような小瓶――とさらにもうひとつを取り出した。
「そ。放火油。しかも抜群に発燃性がいい奴ね。さーて、問題です。ここに取り出したただのナイフ。これをそこにぶつけたら、どうなるかなぁ?」
 笑いつつ、視線を左に転回させる。
「え、僕ですか!? そんな、急に言われても……あ――」
 いきなりの指名に泡を食って、リオルは声を裏返らせた。
 しかし、そこは博識の教授――腐っても先生である――すぐに回答する。
「火が……点く?」
 すると。
「ご名答!」
 ノースは大仰に頷き、やにわにナイフを、シーサーペント目掛け投げつけた。
 丁度、放火油が掛かっているあたりである。ナイフが空を切り、シーサーペントの硬い皮膚と接触した――その瞬間。
 僅かに発生した静電気で、放火油は、その名の通り、火気のない処から爆発的に燃え上がった。
「グワァアアアァッ!」
 数メートルに達しようかという激しい炎に顔を包まれ、シーサーペントが苦痛の叫びを上げる。しかし、これだけの火力にかかわらず、まったく生気を剃がれた様子はない。
 その元気な様子に、ノースは肩を竦めた。
「あーぁ。やっぱりこの程度じゃダメか……」
 まるっきり残念そうに言う。
「ただ熱いだけだったな〜」
 元来、一次着火の目的で使われる放火油である。発火期間も短いが、燃焼期間はそれ以上に短い――炎はすぐに収まっていた。
 そうはいっても、広範囲に火傷を負ったシーサーペントである。
「グゥゥウウッ……貴様ぁ。このままではすまさぬぞっ!」
 燻る躯を地面に擦り付けながら、殺意の籠もった視線をノースに向ける。そして、
「この国に、女神は二人もいらんのだ。よく覚えておくがいい……」
 地の底から響くような声で唸ると、地面にズブリと大穴を開けて、頭から潜り込み――、
 そのまま、地中へと姿を消したのである。

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