episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
MEMORY 3 豆台風接近中!? (5)
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 ぼんやりと目を開けると、まず、天井にぶら下がるカンテラの灯が目に入ってきた。かなり光量を絞っていて、字などは読めそうにない――そんな程度の明るさである。
「あれ……ここは……」
 リオルは、二、三度瞬きをして、左右を見回した。
 左に、銀色をした小舟のようなもの。
「?」
 次に右を向くと、眼前にボトリと何か落ちた。
 触ると、僅かに湿っている。
(タオルだ。これ……)
 小舟と思ったのは、アルマイト製の洗面器だった。
(なんで、こんなものが……それにここは?)
 周りは薄暗く、その為ここがどこか理解するのにかなりの時間を要したが、布の天井と敷布越しに伝わる冷たい地面の感触で、彼は自分がテントの中で寝かされていることを悟った。
 同時に、途切れる寸前の記憶が蘇ってくる。
「……そっか。気を失ったんだ……」
 何とはなしに口に出す。と――。
「そ。過労でね」
 唐突に、天の声。
「!?」
 ガバッと、リオルは上体を起こした。半ば恐慌状態で、怯えた両眼をギラギラさせて声の主を捜索する。が、実際は捜すこともなく――起きた瞬間に目が合った。
「あ――」
「やあ。おはよう」
 二メートルほどの高さから、片手を挙げて気楽に挨拶をしてくる。
 見ると、足下に並べられた木箱の上に彼が座っていた。立て膝をつくような体勢で、こちらを見下ろしている。普通なら闇夜のカラスで見落とす位置だったが、暗がりの中でも冴え冴えと輝く双眸で、誰だかすぐに分かった。
「ノースさん……」
「そう」
 頷く、ノース。
「お加減はどうですかな? 先生?」
「……………………」
 リオルは大きく息を吐いてから、答えた。
「もう……ビックリさせないで下さいよ……」
「勝手に驚いたくせに」
 と、ノース。いかにも心外そうに言うが、怒っているというほどではない――どちらかというと、その声はリオルには優しげに聞こえた。
 なにしろ、ぶっ倒れた自分を看病してくれていたのだから……。
「あ、あの――」
 リオルは、反射的に頭を垂れた。
「ありがとうございます」
「?――あぁ、まあね……」
 ノースが、当惑したように、目をパチパチとさせる。
 その――普段は薄紫色を映している瞳の中心に、微かだが青白い光を放つ部分があることを発見して、思わずリオルは、引き込まれるように光りの基を見つめた。
「しっかしな……」
 ノースは――リオルの挙動の根本を理解しているのか――一度視線を大きく外してから戻し、
「その年齢で過労なんて、気苦労が多過ぎんじゃないのか?」
 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、小首を傾げた。
 彼の隣では、木箱をベッド代わりにして、ヒョウが熟睡している。片手はノースの服を掴んでおり、放す気配はない。
 それを見て、
「……ほんと。すっかり気に入られちゃったみたいですね」
 と、リオルはノースの問いかけとは全然関係ないことを口にした。
 ノースは黙って苦笑する。
 リオルは、彼と、入口から入ってくる篝火の明かりを交互に見つつ、尋ねた。
「今、何時ぐらいです?」
「二時十三分ぐらい」
 と、ノース。即答する。
「よくお休みのことで。もう夜中だよ」
「二時……」
 リオルは、パッタリと枕に頭を戻した――自嘲気味に笑う。
「まさか、倒れるとは思いませんでしたけど」
「――極度の疲労による、神経衰弱と肉体疲労。ま、よーするに過労だってさ」
「過労ですか……僕も歳ですかね? もう……」
「たった二十五で、なぁに言ってんだ。全然若いだろ」
 ノースがそう茶化すと、リオルは沈んだ顔になった。
 口を噤み、俯き加減に視線を逸らす。
 それを見て、ノースも真顔になった。
 薄暗いテントの中に沈黙が漂う――唯一、ヒョウの規則正しい寝息だけが聞こえていた。
「あの――」
 しばらく考え込んでいたが、リオルは、意を決したように顔を上げる。
「昼間、言ってましたよね。年齢が二百近いって……アレ、本当なんですか?」
「一応本当」
 ノースはこともなげに頷いた。
「もうちょい正確に言うと、百九十とちょっと」
「百九十……」  
 リオルは息を詰まらせた。
「話に聞いたことはありましたけど、ラムバーダン人が長寿なのは本当なんですね……」
「どうだかね」
 と、ノース。
「他のがどうかは知んないし。それに『長寿』ってのは、ちょっと違う気もするしなぁ……」
「同族の方に会ったことはないんですか?」
「ない――って言うと、違うけど……。まぁ、少なくてもここ百年はないな。そりゃ、その前は、まわりにわんさかいたんだろうけど、あんまし覚えてないんだよね。これが」
 苦笑いである。
「じ、じゃあ――」
 その屈託のない表情につられて、リオルは我知らず問いを重ねていた。
「『災厄』のことはどうですか?」
「災厄?―あぁ、ファーストプレイスのことね……」
 ファーストプレイスの災厄。
かつて世界に君臨したラムバーダン人が、自らを滅ぼしたという出来事である。
 彼らを、〈全人類の支配者〉から〈無力な下等生物〉へと、階級下落させた百年前の事件。 ラムバーダン人の御座地であるファーストプレイスだけに起きた災い。
 なにより、ノースが二百近い年齢なら、『災厄』を体験しているはずであった。
「さすがに『災厄』はご存じでしょう?」
 リオルの言葉に、ノースは少し考えたが――すぐ首を振ると、
「それも、なんかイメージみたいなもんしか残ってないな……。なにしろ、あんまり前のことだし……その後は誰にも会ってないし……ま、その後すぐにゴートに叩き込まれたわけだから、逢えるもんも会えなくなったわけだけど……」
 と、譫言を言うように呟いた。
 その瞬間。
「ゴ、ゴ、ゴ……ゴート! って、ゴート収容所??!!!」
 リオルの両目が、ビョーンと飛び出した。
 掛かってる毛布をはね除けると、ノースに詰め寄る。
「ゴートにいたことあるんですかっ!?」
「あ、あぁ……」
 ノースは、木箱の上で目を丸くしたまま、頷いた。
「そうだけど。それが?」
「それが?――じゃないですよ! ゴート収容所といったら、二度とは出られない地獄の牢獄じゃないですかっ!! あそこに入れられるってことは、死刑にされるのと同じなんですよ!」
「まぁ。そうだね」
「あんな、悪名高いとこになんで?――――あ!?」
 すっかり興奮状態で怒鳴ってから――。
 リオルは、急に申し訳なさそうな顔になって、口を閉じた。
「ん〜?」
 ノースが、からかい半分に目を細める。薄紫色の両眼が、キラリと光った。
「分かったのかな? リオル君」
「……はい」
 リオルは頭を垂れた。分かったのである、理由が。
 よくよく考えてみれば明白な理由だった――考えるようなことでもない。
「……スミマセン……もう聞きません」
「別にいいけど?」
 その――叱られて廊下に立たされた小学生のように――ションボリしているリオルを、さらりと一瞥しつつ、
「そんなことよりさ。これからどーすんの?」
 と、ノースは首を傾げた。
「雇い主に倒れられると、一応雇われてるこっちとしては非常に判断に困るんだけどな? ま、一週間ぐらいならゴロゴロするのも悪くないかもね」
 そう言うと、本当にゴロリと横になる。
「だ、だ、大丈夫です!」
 慌てて、リオルは胸を張った。
「すぐに……朝には出発できますよ!」
「無理だね」
 即座に斬って捨てるノース。寝返りを打って、リオルに背を向けた。
「三歩進んで後ろにバタン。がオチ……」
「だ、大丈夫ですよっ」
 その背中に向かって、必死に抗弁するリオルである。「ほら。平気ですってば」と、腕を回し、体操じみたことまでして見せる――が、ノースは振り向かないし、見ようともしない。
 それでも健気に続けながら、
「明日、出発しますよ。これ以上姫様を待たせるわけにはいきませんからね! ほら、大丈夫でしょ? ちゃんと動けますよ!」
 と、リオルは笑顔で屈伸運動。
「……膝」
 グルリ――と向き返ると、ノースは苦笑した。
「膝も笑ってるみたいだけど?」
「え……」
 その指摘の通り――リオルの両膝はガクガクと震えていた。必死に踏ん張っているものの、まるで安定感がない。
「だ、だ、大丈夫ですって――」
 パンッ!
 なおも続行しようとするリオルを遮って、ノースが両手を打った。
 それで緊張の糸を切られたのか――リオルは、ヘナヘナ〜と毛布の上にへたり込む。
「どーこが大丈夫なんだか……まともに立てもせんのに」
「あ……あはははは……あはははは――」
 後は、ただただ虚しく笑うだけのリオルであった。

 翌朝。
「それじゃ、せいぜい気ィつけなよ。アンタ結構目立つんだからね」
 笑いながら、ゾフィ・ルナーは寝癖のついた髪を掻き上げた。
 早朝だというのに、彼女は煙管を銜えている。その管頭からは、絶えることなく一筋の煙が上がっていた。
 その隣で、煙草独特のすえた匂いに噎せ気味でいるのはリオルである。
 いつもの長衣姿ではなく、ダブッとしたTシャツにカーゴパンツという――ここの商団員たちの標準着に替えていた。
 常に、『美形』の二文字を、顔に書いて歩いてるようなリオルだが、この格好はそのイメージをかなり変えている。サラサラの金髪と、相変わらずの馬鹿丁寧な振る舞いがなければ、彼と気が付かないくらいだ。
 リオルは、ゾフィ・ルナーに肩を貸してもらって、なんとか立っていた。
「本当に、スミマセン。何から何まで……」
 ペコリと、心の底から申し訳なさそうにお辞儀をする。
「……よく言うよ」
 呆れつつ、それでも突っ込まずにはいられないノースであった。
「結局は、全部思惑通りなんじゃないのか?」
「とーんでもないっ! こんなこと、態となんてできませんよっ」
 リオルが首を振ると、ノースの代わりに彼の下にいる葦毛の馬が、ブルルッと文句を言った。
 その馬の尻を撫でつつ、ノース。
「ま、いいけど。足枷がなくなって、よっぽど動きしやすくなったしな」
「ははぁ……面目無いです」
 リオルは返す言葉もなく、ただ苦笑を浮かべる。
 結局のトコ。
 極度の疲労で行動不能と診断されたリオルをこのまま商団に残し。ノースが代理で、ガルーダの巫女=王女の待つマーカーバレイまで赴いて、女神の杖を手渡す――という方向で話はまとまっていた。
 報酬の半額前払い&倍額謝礼――ということでノースも納得し、とりあえずリオルの有り金は財布ごと毟り取られていた。しかも、他の所持品も滞在費としてゾフィ・ルナーに巻き上げられている。体調が良くなり次第、客人ではなく、商団の住み込み家政夫として扱われることが決定していた。もちろん、ほとんどノースとゾフィ・ルナーが勝手に決めたことなのだが、リオルは不満を垂れるわけでもなく、むしろ嬉々として従っている。
 それでもいまいち不憫と思い切れないのは、多分、彼の微笑みに、珍しく裏黒い部分が見え隠れしているからだろう。
「それはそうと――」
 と、ノースは、リオルの隣で煙草をふかすゾフィ・ルナーを、横目で睨んだ。
「コレは何だよ?」
 背後を指差す。
 待ってましたとばかりに、ヒョウが顔を出した。
「えへへへへっ〜」
 例によって、ノースの背中にベッタリとくっつき、無邪気な笑顔を浮かべている。
「…………」
 ノースは黙って、その――仔犬か小猿かといった感じの――こぢんまりとした襟首を摘み上げると、馬上から放り捨てた。
 ポスッと軽い音がして――小柄な少年は、地面に転がり落ちる。
 そして、二、三度回転した後。ペタリと地べたに座ってきょとんとし――、
「えへへへへーっ」
 まったくめげず――そもそも何で投げ落とされたのかも理解していないようで――ヒョウはニコニコしながら再びよじ登り、ノースの後ろにしがみ付いた。
「えへへ」
「はぁ――――っ……」
 ノースは、深く、ふかーくため息を吐き―、
 開口一番。
「降りろ」
「ヤダ!」
 即答。
「いいから、降りろって」
「よくないから、ヤダ!」
「降りなさい」
「ヤダヤダヤダー!」
 しっかと背中にへばりついて、ヒョウは首を振った。
「にぃーちゃんと一緒に行くんだもーん」
「う〜ん……」
 ノースは額に手をあてて、呻った。
「なんとかしてくれんかね……。そこの保護者!」
「う〜ん。これねぇ……」
 ゾフィ・ルナーは――ほんのちょっぴり困り顔。残りはただの愉快犯の顔で、言った。
「難しいわなぁ……なぁ、リオルちゃん?」
「そうですよねぇー、こんなに懐いてるのに。それだけでかなり貴重ですよ。そもそも嫌がる子供を無理矢理引き剥すなんて、可哀相で僕には出来ません……ねぇ、ルナーさん」
「お前ら、完全に面白がってるだろ……」
 と、ノース。
「特にリオル。なーんか、嬉しそうに聞こえんだけど?」
「えぇ――――っ?」
 態とらしく驚いてみせるリオルである――普段、必要ないところでオーバーに驚いてる分、恐ろしくミエミエであった。
「気のせいですよぉ。ノースさん、強迫神経症なんじゃないですか?」
「あのな……」
 今度は、ゾフィ・ルナーにジト目を向ける。
「絶対、教育方針間違ってるぜ。あんた……」
「そんなことないさ」
 と、ゾフィ・ルナー。
「これでも、人の見分け方は叩き込んであるんだよ」
 平気な顔で、こうも言う。
「本人が行きたいって言ってんだから、連れてってあげりゃいーじゃないのさ。それによく言うだろ? 『可愛い子には旅をさせろ』って。なんなら人質交換ってことでどうだい?」
「それが親の言うセリフか!」
「それにね。ここで置いてっても、この子意地でも付いて行くと思うよ。例えば、馬の腹にしがみ付くとか、草むらからコッソリ様子を見てるだとか……それこそレイダックの頭に乗って現れたりする可能性も――」
「あぁ! もういい!」
 と、ゾフィ・ルナーを遮って、ノース。
「わかった! わかったよ、わかった……」
 珍しく、泣き顔にも似た脱力の笑みを浮かべると、両手を上げて完敗の意思表示をした。
「連れてきゃいーんだろ? 勝手にしろよっ!」
「そーそー。わかりゃ、いーんだよ」
 ゾフィ・ルナーが、ウンウンと頷く。
「そぅそぅ〜」
 これはヒョウ。
「トホホ〜っ……」
 心底、トホホな気分で嘆息すると、ノースはリオルに顔を向けた。
「今ならな、リオル。お前の心理状態が完璧に理解出来るぞ、ホンットに!」
「ははは……」
 と、リオル。乾いた笑いを発する。
 そして、笑顔で首を傾げた。
「でも、意外にすぐ折れましたね? なんだかんだ言って、本当はこの子のこと結構気に入ってるんじゃないですか?」
「……言ってろよ。大ボケ!」
 ノースは顔を顰めて――ついでに舌を出した。

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