episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
MEMORY 6 王女に真実を、少年に鳩を (3)
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「はぁ!?」
 少年は素っ頓狂な声を上げ、目をパチクリとさせた。
「んなもん聞いてどうすんだよ!」
「呼び方が分からないと、話しづらいんだよね。実際」
 と、ノース。
「――『お前』とか『あんた』じゃ味気ないし……。あぁ、別に『これ』とか『あれ』でもいいならいいんだけどね。それとも臨時のニックネームでも付けようか?」
 真面目な顔で言いつつ、内心はニヤニヤしっぱなしであった。
「あんまし得意じゃないけど。まぁこういう場合『ハト朗』とか『鳥男』が一般的なんだろ? あとはね――」
「ま、まてまてっ!」
 なおも何か言おうとするノースを慌てて遮り、少年が泡食った声で叫ぶ。
「オレは、デフリー。デフリー・キープだっ! それ以外の名前で呼ぶなっ」
「はいはい。わかったよ、デフリー」
 漏れる笑いを噛み殺しつつ、頷くノース。
「それで。そのデフリー様は何しに来たんだっけ? あ、今日は週に一度の市の日だよなぁ。お買い物? うんうん、実は俺もそーなんだわ。すっごい奇遇だねぇ、デフリーさん」
 普通、こう言った状況で出てくるセリフではない。
 しかしノースは、ほとんどでまかせに、すらすらと、たいした意味もない――それでいてやたらと神経を逆なでする――言葉を口走り続けた。
「俺は、あんまり買い物って、したいしたいって思わないんだけどねぇ。デフリー君はどう? 手作りぬいぐるみとか興味ある? それとも盆栽の方が好みか?――あぁ、やっぱりお子様は食べ物の方が嬉しいよな。そうだろ、デフリーちゃん?」
 言いながら、左手で上着の袖――少しサイズが大きいため余り気味なのである――その右の袖口をまくり、
「あぁ――これね、さっき買ったばっかしなんだけど……ちょうどのサイズが全然なくってさ。ホントまいるよなー。だいたい、なんでこんな時期に買う羽目になったかわかる?」
 と、小首を傾げて見せた。しかも笑顔で。
「て、てめぇ――」
 それを見て、デフリーと名乗った少年は、呻り声を上げる。よく野良犬が噛み付く直前にやるように小鼻を振るわせると、素早く、懐からナイフを取り出した。
「んなこたぁ聞いてねぇんだよ!」
 怒鳴りつつ、刃物を逆手に構えて飛びかかる――、
 しかし、その動きは粗雑の一言で、まったく精細を欠いていた。さっきの攻撃と比べると、まるで子供のお遊戯である。
「おおっと――」
 ノースは、オーバーに声を上げ、わざとらしい動きで避けた。クルッと、反時計回りに回転して、再び少年に向き直ると、
「危ないなぁ……」
 言いながら――何やら含んだ笑みも浮かべて――頬を掻く。
「なぁーに怒ってるんだよ? だいたい、町中でそんなもの振り回したら、アブナイ奴だと思われるよ?」
「黙れっ!」
 と、デフリー。
 つい半刻前までの余裕がある表情とは裏腹に、ひたすら顔を真っ赤にして――早い話、我を忘れるほど腹を立てて――両肩を戦慄かせる。
「いい加減にしやがれっ! てめぇ、オレをおちょくってやがるだろ!」
「うん」
 と、ノース。コクリと頷く。
「そのとおり。よく分かったね、おめでとう」
 右手に小剣を持ったまま、拍手もした。
「この野郎――」
 ギリギリと、奥歯を噛み締めながらデフリー。
「ぶっ殺してやる!」
 たしかに、もともと彼の目的はそれだったのだが……。
 ただ、すでに少年の頭の中からは、偉大な主の言葉も、自分たちの壮大な思想も、住民を利用した周到で完璧な計画も、きれいさっぱり消え去っていた。
 つまり、ノースの奸計にすっかり乗っかってしまったのである。
「死ねっ!」
 再び、ナイフ閃かせてノースに襲いかかるデフリー。
 その怒り心頭な、ギラギラと輝く視線に、ノースは普段通りの――見ようによっては面白がってるようにも、また見ようによっては困っているようにも見える――ぼんやりとした眼差しを返した。
 今度は避けようともせずに、紅い双眸を正面から見据える。
 一瞬後。
 カキィン――!
 軽い、金属同士が触れ合う音が響き、
「――!?」
 デフリーの手からナイフが跳ねた。
 ナイフは、まるで磁力に引かれるようにノースの持つ小剣に絡みつくと、そのまま横に弾き飛ばされる。
 己の目を面持ちで、宙を舞う刃物を目で追う。しかし、その行方を確かめる間もなく、デフリーは後頭部を強打されて、俯せに倒れた。
「くっ!」
 強かに頬を打ちつけて、地面に叩き付けられる。
 それでも、視界の端に彼のナイフが転がるのが見えると、デフリーは片肘をついて上体を起こし、ほとんど反射的に手を伸ばした。
 が――その手はナイフに届く前でピタリと停止する。
「あんまり手間かけさせないでくれよなー」
 ノースが呟いて、首を傾げた。
 ナイフの上に立って、右手には小剣をぶら下げている。
 剣の切っ先は、デフリーの首筋にピッタリ当てられていた。少年は、半端な腕立て伏せのような姿勢のまま身じろぎすら出来ないでいる。ひんやりした感触に、自然と冷や汗が流れた。
 頭を冷やすとしたら、頭から冷水を被るのと同じくらい効果があっただろうか――しかも即効性もある――一瞬で血の気も失せた。
「さーてと。どーしよっか?」
 ノースは目を細めて、眼下――目を見開き硬直している少年――を見下ろした。
 一方デフリーは、引きつった顔で目だけをこちらに向けてきた。
「や……殺るの……か?」
 怯えと緊張が入り交じった、掠れた声を上げる。
 齢相応――と言うのは可哀相かもしれないが、虚勢が抜けて、正しく十代半ばの少年の顔になっている。
「んー、そうだなぁ……」
 と、ノース。
「……やっぱし禍根は絶つべき……か?」
 そう言うと、剣を持つ手に力を入れた。
 カチャリと音がし――反射的に、デフリーは目を閉じる。
「や……やめて……くれ。たのむよ……」
「………………」 
 思わず。弱々しい声で懇願するが、返答はない。
 ノースは口を噤んで、静かにデフリーを見ていた。厳しい表情を浮かべ――ただ険しくはなく、どちらかというと何かを待っているような顔だった。
 ほんの僅か――デフリーにはとてつもなく永い間――沈黙は続き、
 そして、ノースの感覚で十八秒後。
 終わりの時間が来た。
 ククゥ――。
 不意に、ノースの懐から、それを知らせる声が上がる。
「な、なんだっ!?」
 正体不明の音に、慄然とするデフリー。一瞬、腹の虫かと思った。
 もちろんそうではなく――ノースは深々と嘆息する。
「やれやれ……」
 カラン。
 適当に剣を転がすと、おもむろにジャケットの内側に手を突っ込み、ごそごそとまさぐる。
 大した手間もかからず、すぐにそれを内ポケットから取り出した。
「はい。これ――」
「な!?」
 途端、デフリーは「完全に訳分らん」という顔になった。
 口をポカーンと開けっぱなしにして、ノースの手の中に視線を釘付けにしている。
 はたして、鳩であった。
 灰色の――羽の先端が少し白いだけで――何の特徴もない土鳩。鳩は、少し身体を振るわせたが、逃げようともせずに大人しくしている。黒く小さな目だけを、キョロキョロと忙しなく動かしていた。
「お、お前……」
 と、デフリー。まだ少々引きつれたままの顔を押し上げ、ノースを見る。
「なんで……?」
「動物を使うのを『悪い』とは言わないけどね――」
 ノースは肩をすくめると、
「でも、羽根は切り落とさない方がよかったな。飛べない鳥ってけっこう大変だぞ。池に浮かべられた白鳥なんか惨めなもんだし……。まぁ、ダチョウやペンギンは別にしてもね」
 冗談めいた口調でそう言って、両手に抱えた鳩を、黒髪の上に乗っける。
 乗せてすぐに、鳩は――髪の毛を巣に見立てたのか――座り込んだ。やがて、落ち着いたように喉を膨らまし、何やら満足げな声でホゥホゥと鳴き始める。
「……お前……ずっと……わざわざ鳩なんかを庇ってたのか?」
 のろのろと呻くデフリー。その目が「信じられない!」と言っていた。
「――『鳩なんか』? あのな――」
 と、ノース。いかにも心外! といった表情で、眉毛を吊り上げる。
「なんかって思うぐらいなら、最初から鳩なんかをダシに使うなよな」
 ひとつ荒い鼻息を飛ばすと、腰に手を当てた。
「それに『庇ってた』わけじゃない。俺はただ……意味があってもなくても、できれば犠牲は出したくないって、それだけなんだけどな? だいたい『犠牲』って何か変じゃないか? だって、死んだり殺したり……ってのは結果でしょ。それなのに、予め死ぬことが決まってるなんて腑に落ちないし、他人がそれを決めるのもおかしなことだと思わないか?」
「………………」
 デフリーの返事はない。ノースはちょっと――続けるべきかどうか――考えたが、ほとんど間を空けずに再び口を開いた。
「でもね。生き物がひとつだけじゃない以上、『殺す』ために殺すか『生かす』ために殺すか、選ばないとならない時もたまにある……この前みたいにね。殺される方にしてみれば、同じことだろうけど……でもまぁ――」
 真顔で言う。
「一応、覚悟はしてる……かな」
「……かく…ご?」
「そ。覚悟」
 小さく、呻くように言うデフリーに、ノースは意味ありげな頷きを返した。
「――後悔はしない、開き直ったりもしない……。あと、誰かを責めたりしない」
「………………」
「なーんちて。まぁ。理由はどうあれ、結局お前らの仲間を殺したのは俺なわけだから、その俺がこんなこと言っても、ぜーんぜん説得力ないんだけどね。屁理屈だ……って思うだろ?」
 最後は苦笑して、頭を掻いた。
 デフリーは顔を上げたまま、硬直している。
 何も言えなかった。言えるわけもない。
 と、そこへヒョウが――四本足で――近づいてきた。
 デフリーの正面、ノースとの間に立つと、頭上に鎮座する鳩をフンフンと嗅ぐ。
「ねぇ、にぃーちゃん?」
 おもむろに振り返ると、パタパタと尻尾を振って、訊ねた。
「トリさん、このにーちゃんのトモダチ?」
「どうかなぁ……」
 と、ノース。
「それにしちゃ薄情だしね。違うだろ」
「でも――」
 と、小首を傾げるヒョウ。耳をピンと立てて、目をパチパチさせる。
「トリさんはトモダチだって言ってるよ。ね〜、トリさん?」
 言いながら、デフリーの肩に前足を置いて乗り出すと、鳩を覗き込んだ。 
 飛べない鳥のつぶらな瞳に、無邪気で愛らしい子犬の顔が映る。
 鳩は、ホゥーと短く応えた。
「ほらっ、やっぱりトモダチだよ! ね〜っ、にぃーちゃん!」
「…………うぅ」
 その声に――ガックリと地面に手をついて――デフリーは項垂れた。
 泣いてはいなかったが、それに近い脱力感が彼を包んでいる。どうしようもない敗北感も。
「ねぇ、にぃーちゃん。このにーちゃん、どうするの?」
「ん……どうしようか?」
 そのやり取りを聞いて、デフリーは静かに身体を起こした。ぺたりと地面に座り、大きく息を吐くと、妙にさばさばした口調で呟く。
「……負けたよ。お前の勝ちだ……好きにしろよ」
「負け? 負けか……。負けねぇ……」
 ノースは、またも何か言いたげに眉を顰めたが、彼がそれ以上言うことはなかった。
 突然。坂の下方から、紅い閃光が放たれたのである。

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