episodo-1 詐欺師と愉快な仲間たち!?
MEMORY 7 アナザー・オブ・ガルーダ (3)
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「――外もよく似てたけど、中はさらにそのまんまだよなぁ……」
 のほほんとした、呑気な口調。
 軽く谺を響かせて独りごちると、ノースは歩きながら首を傾げた。
 手にした〈女神の杖〉を一定の間隔で床に突き、散歩程度のスピードでゆっくりと進む。 足元には、狼犬の子供がチョロチョロ彷徨いている。
「にんにくぅ〜、にんに〜く、らっきょキョー」
 ヒョウは、何が楽しいのか上機嫌で――いつものことだが――意味の分からない自作ソングをがなり続けていた。
「らっきょ、しょーが、がんもどきぃー」
「――別に揃えの内装にするこたないと思うけどな。やっぱ、同じにしないと落ち着かないもんなのかねぇ」
 ノースは、そんなヒョウに目を向けることもなく――それもいつものことである――フンッとひとつ鼻息を出すと、薄暗い周囲を見回した。
 真っ直ぐに続く廊下。天井からぶら下がった豪華なシャンデリア。それに、床を覆う深紅の絨緞――どれも埃にまみれていたが、いわゆる大貴族の屋敷と比べても些かの遜色もない。当時の繁栄ぶりを十分に偲ばせている。
 屋内には灯火のひとつもなかったが、それでも上の天窓から入ってくる幾ばくかの光が、闇の浸食を拒んでいた。周囲全てを照らすには及ばないものの、足元に不自由することはない。
 もっとも、狼犬のヒョウは暗視に優れているし、ノースの方も視覚に光線は不必要。たとえ真っ暗闇だろうと居場所が分からなくなることなどない――代わりに、光線のもたらす恩恵にもほとんど与れないのだが――ともあれ、明かりの有無など大した問題ではなかった。
 むしろ、カビ臭い湿った空気と、踏み出す度に渦を巻く大量の埃の方が、大問題である。
「――ふぃくしっ」
 思わず――鼻腔を刺激する感覚に耐えかねて、盛大に嚔を飛ばす。それでまた、羽毛の様な塊が舞い上がった。
 小鼻をくすぐる、などという生易しいレベルではない。下手をすると目に刺さるので、瞼も伏せがちになっていた――結果、表情も重くなる。
「あー、うっとーしー」
 ノースは、むずがゆい鼻を押さえると、パタパタと手を振った。もちろんそんなことで膨大な量の浮遊物を駆逐できるわけはないが、眼前に居座られ続けるのも我慢ならない。不毛とは知りつつも白い物体に手が行っていた。
「ちった、掃除くらいしろよな……。俺は『自動蜘蛛取り器』じゃないっつぅーの」
 ブチブチと文句も垂れつつ、頭に引っかかった蜘蛛を巣ごと投げ捨てる。
 蜘蛛は、床に脚が着くなり猛スピードで逃げ出したのだが、すぐさまヒョウに踏んづけられ、短い前足の下でジタバタともがいていた。巣は壊されるわ、巨大怪獣に襲われるわで、彼女にはとんだ災難であろう。
 その蜘蛛――体長十数センチもある毒蜘蛛である――を口に銜えると、ヒョウはノースをダッシュで追いかける。追いつき、横に並ぶと、得意げに差し出してきた。
「はひ。ひぃは〜ん、はへふー」
「いらんっての……」
 邪険に言い放つノースだが、チラリとヒョウを見た途端、ギョッとした。
「噛まれるぞ。早く捨てろ」
「ほ・ぁーい!」
 と、ヒョウ。大満足! という顔で返事をする。
 はずみで、ボトリと口の中の物が床に落ちるが、それをまた拾おうとはしなかった。一瞬でもノースの関心を引けたことで、目的は達成していたのである。
 人間の姿なら満面の笑みだっただろう――口を半開きにして、千切れるほどに尾を振り回す。目をキラキラとさせ、息も荒くなっていた。
「にぃーちゃん、シローいね。しらげー?」
 こちらを見上げて、無邪気に小首を傾ける。
 その――埃にまみれて斑になっている――顔を見て、ノースはげんなりと首を振った。
「……お前の方が白いね」
「あっ! ホントだっ! オレもシローいよー」
 ノースの言葉に、ヒョウはもう大喜び。
 盛大に埃を撒き散らしながらまわりを駆け回った。
「まっシロシロぉ〜! ボワボワ〜! おもしろーいっ」
「………………」
 ノースは、深々と鼻からため息を吐くと――埃を吸いたくないため、無駄だと知りつつもなるべく口を開けないようにしていた――心底陰鬱な口調で呟いた。
「――だいたいな。人を呼びつけといてこの歓迎振りってのは、あんまりだろ?」
「それとも、入口で出迎える方がお気に召したかな?」
 藪から棒に、明後日の方向から応答の声が上がる。
「だ、だぁれだっ!」
 すかさず――ヒョウが短い鬣を逆立たせ、威嚇の体制をとった。
 しかし威勢がいいのは一瞬だけ。一目散にノースの足の間に転がり込むと――どうやら隠れているつもりらしい――鼻先だけを突き出して、周囲を窺っている。
 同時に、ノースはうんざりとした顔で歩みを止めた。より正確には、ヒョウがつっかえて止まるざるを得なかったのだが……。
 ともあれ、俯き、今度は口で嘆息する。
「は…………」
 たっぷりと時間を置いてから――実は、口の中に入った埃を出すのに、ひどく手間取っていた――重い顔を上げ、姿なき声の方に向ける。もちろん『姿なき』というのは、人間の感覚で言えばということで、その男の姿はしっかり確認できていた。
「それには及ばないんだけどさ。どーせだったら入る前にしてほしかったね。そーゆー心遣いは……」
 ノースがそう言うと、
「フッ――それは気が回らず失礼をした」
 と、声。
 終始淡々とした調子で、ノースが「そんなつもり全然ないくせに、よー言うわ」と毒づいても、颯爽とそれを無視した。
 そして、明らかにわざと靴音を響かせながら、廊下の向こう側の暗闇――つまりはノースの正面から――姿を現した。
「私としても、こういう待ち伏せじみたことはあまり好みではないのだがね。しかし命令とあらば仕方があるまい。対等とは呼べない相手と勝負をするのは、いささか……かなり抵抗があるが、ここはひとつ手加減せずに、手柔らかに手合わせを願いたい。これも運命と呼ぶべき定めの天輪であるのならば、貴殿と対峙することを私は望んでいるということになろう。では、よろしいかな?」
「よろしいか――って……」
 頬尻をポリポリ掻きながら、ノース。
「よくよく聞くと、支離滅裂なこと言ってんね」
 思わず、半歩後退りもする。
「フフフ……」
 男は聞こえていないのか――聞いてないのか――とにかく、ノースの言葉に全く反応を示さずにゆっくり歩み寄ってくる。肩にかかる黒髪と、羽織ったマントとが、派手に靡いているのが、何を置いても不自然だった。なにしろ、風のない屋内であるのだから。
 まあ、それもそうなのだが。男の姿を見るなりノースがひいた理由は、別なところにあった。
 齢は二十代半ば。リオルと同じ、とはいかないまでも、かなりの美男子である。
 ――では……ある。
(なんだけどね)
 しかし、中途半端な長髪といい、目を閉じて歩いてきたことといい、何故か男が手を掲げると廊下の燭台に灯が点ることといい――最後のはともかくとしても――男の第一印象は、リオルとは似ても似つかぬものがあった。
 少なくても、真っ先にノースが抱いた感想は、
(どう見ても、キザ男……)
 である。
 そのキザ男は、いつの時代の人間か尋ねたくなるような白銀色の甲冑に身を包み、マントを翻している。マントの色は外側が黒で内側は赤――ご丁寧に、生地はベルベットであるらしかった。いわゆる騎士のコスチューム。しかも本から抜け出たような王道スタイルで、このまま舞台にでも上がれそうな勢いである。
 ハッキリ言うと恥ずかしい。少なくとも友人にはなりたくないタイプだ――できれば関わり合うのも辞退申し上げたい。
(なんなんだよ、あいつは)
 いつの間にか、ノースは、不審者を見るような視線になっていた。
 そんな冷ややかな目で見られているとは露知らず。
 カツ、カツ、カツ……。
 男は、相変わらず靴音を高く響かせながら接近してくる――そもそも、分厚い絨毯の上で足音がするというのも妙な話であるが――あと五メートルというところまで来ると、唐突に静止した。
「フッ……」
 余裕たっぷりに、顔にかかる前髪をオーバーな動作で掻き上げる。
 そして、おもむろに左手から手袋を外し、何を思ったのかノースに向かって投げつけた。
 当然、そんなもの届くわけもなく、革の手袋はベチャリと床に落ちる。
「――はァ?」
 それを目で追い、ノース。
「ひょっとして、『決闘の申し込み』ってヤツ……?」
 とてつもなく嫌そうな顔になって、未だに目を閉じたままの男を見返した。
 男の方は――、
「ハンデをくれてやろう。先に抜け」
 言いつつ、すでに片手は腰の長剣に行っている。無論、ノースの言葉など耳に入っていない様だった。
「どうした……怖じけづいたのか?」
「あ・の・な」
 と、ノース。イライラを通り越し、呆れ果てていた。
「なーんか、一方的に話が進んでない? 大体、抜けってね……こちとら、見ての通りで剣とか持ってないんですけど?」
 両手を広げ、目立った武器がないことをアピールして見せる。〈女神の杖〉だけは――隠そうと思ったところで、容易に隠せるような代物ではないので――小脇に抱えたままだったが、小剣や短剣と言った類の物は一切見当たらない。
が。
「では、私から行くぞっ!」
 男は、そう叫ぶと剣を抜き放ち――そして、抜刀の勢いにまかせて斬りかかってきた。
「覚悟!」
「人の話聞けよ!」
 と、ノース。後ろに跳び退く。
 下がりながらも、斜線を描いて煌めく刀身に、〈女神の杖〉を叩き込んだ。
 金属同士が衝突し、薄闇に火花が散る。
 男は――初打を制そうとしてか――かなり体重を乗せて踏み込んできた。
 しかし、ノースはその攻撃とは競り合わず、逆に反動を利用して長剣の射程外まで後退した。
 着地の際、分厚い絨毯に足を取られ躓きかけたが、数歩蹌踉めくようにバックをして、なんとか踏みとどまる。
「あー、あぶな――」
 かろうじて均衡を維持すると、ノースは安堵にも似た苦い表情になった。思わず、口を大きく開きかけ――急いで閉じる。
 ちなみに、あえて途切れた台詞の先を意訳すると、
『危うく血の花を咲かすところだった』
 ではない。
『危うく埃の海に撃沈するところだった』
 である。
 正直なところ、それだけは何を置いても御免被りたかった。
 すでに、そうなったとしても大差ないほど薄汚れていたが、こういうのはやはり気分の問題である。
 一方、男はというと、
 シュタッ!――などと、思わず効果音を入れたくなる風で、華麗に降り立っていた。
 バサリとマントを跳ね除け、その手で前髪を掻き上げる。
 念のため補足しておくが、別にマントは邪魔になるような感じに捲れてもいないし、髪も顔に掛かってはいない。
 男は、眉をキリリと引き締めると、ノースに軽蔑の眼差しを向けてきた。
「――おのれ。かような凶器を隠し持っていようとは……。なんと卑劣な」
「………………」
 もはや反論する気にもなれない。
 ノースは、倒れそうな身体を〈女神の杖〉で支え、ガックリと肩を落とした。
 それを好機と見たのだろう。男はすぐさま体制を取り直すと、間合いを詰めてきた。
 無駄がない、型どおりの動き――いわゆる騎士剣というやつである。
「ハッ!」
 鋭い気合いを発し、それに呼応するかのように長剣が閃いた。
「どうした! 隙だらけだぞっ、ラムバーダン!」
「まあ、たしかにね……」
 と、ノース。
「一対一ならそうだろうね」
 上目使いに男を見遣ると、かなり緩慢な動きで上体を起こす。このタイミングだと到底攻撃を避けられそうにはないのだが、投げやりな口調で言い放った。
「フツーは、気付くと思うけどなぁ」
 チラリと、男の背後に目線を振る。
 タットトトトト…………。
 床を蹴る、軽快な音。
「む……!?」
 男が、その足音に気付いたと同時――。
「くぉらぁ〜!」
 暗闇を破って、ヒョウが姿を現した。
「にぃーちゃんをいじめるな!」
 猛烈なスピードで走り寄り、軽々と男の背を跳び越える。
 長剣を持つ右腕を蹴ってその軌道をずらし、剣が床に刺さったところで再び跳びかかった。
 動きに無駄があるかなどと議論する暇もない――これだけのことを、ものの数秒でやり終えている。
 次の瞬間には、男の腕に噛みついてぶら下がっていた。
「フググ……フゥグー!」
 荒い鼻息を上げ、ガリガリと爪を立てる。当然、喰いついた腕は離さない。
「くぅ――おのれっ!」
 男は、忌々しげにヒョウを睨み付けた。籠手の上からであったためダメージを受けることはなかったが、目を剥いて大きく腕を振る。
「離せ! 離せぃっ!」
「ギャフ!」
 長剣の柄で体を打ち据えられ、たまらずヒョウは悲鳴を上げた。口が開いたところをさらに殴られ、払い落とされる。
 もちろん身軽さが売りの狼犬だけあって、無様に背中から落下するなんてヘマはしない。
 ヒョウは、クルリと反転しすると、きれいに足から着地した。
「コンニャロー! なにすんだよ!」
 めげることもなく、牙を剥いて男を威嚇する。
 その様子を見て、男はポツリと呟いた。
「二対一か……」
「そーゆーこと」
 と、ノース。〈女神の杖〉を後ろにまわして両手で持ち、ゆっくり歩み寄る。
 ヒョウの横まで来ると止まり、曖昧な笑みを浮かべた。
「分かったら、少しは話し合いを……ねっ」
「何を話せと言うのだ」
 と、男。厳しい表情で、剣の切っ先をノースへと向ける。
「この期に及んで命乞いか? 先に言っておくが、一度受けたこの勝負、途中で無効にするなぞ到底かなわ――」
「あ〜、いやいやいやいや〜」
 男の――放っておけば限りなく間延びしていくであろう――台詞を遮り、ノースは片手を振った。
「あんた、『何処』の『誰』?――ま、聞くだけ野暮だろーけど、一応ね」
 言いつつ、浮かべる笑みに、何やら含んだようなものを付け加える。
 男は――やはりその微妙な変化には気付かなかったらしい――大仰に頷いた。
「当然だな。敵に塩を送るかの如く、己の素性を安易に晒す者を、間抜けというのだ」
「ああ、そーかい」
 と、ノース。
 言ってろよ……と、声にせずに呟くと、目を細めた。
「でもさ、自信満々なトコ悪いんだけど。あんたを名乗らせるなんて、簡単に出来んだよな。よーするに、あんたってかなりの『間抜け』なわけだね」
「なんだと?」
 これには、さすがにカチンときたらしい。男は、頬を僅かに強ばらせた。
「私は、騎士だぞ。己の信念を貫いてこそ騎士たるもの……。逆賊の血迷いごとなどに、掛かりはせぬ!」
「そう。それだ――」
 と、ノース。相槌を打つ。
「それなんだよ、騎士殿」
「なに?」
「あんた、さっき俺のこと『ラムバーダン』って呼んだだろ?」
「だったら、何だというのだ」
「――んじゃ、俺の素性ってのは、ちょっとは知ってるわけだ?」
「当然だ。何が言いたい」
「おやおや」
 男の態度がどこまでも一本化しているのを見て取り、ノースは肩をすくめた。
「こりゃ、そーとーに間抜けだね……」
「無礼な!」
 馬鹿にしたような発言に、男はついに激怒した。
 剣を構えたまま、空いている手――つまりは左手を、ノースに向かってビシリと突きつける。
「そこまで言うのであれば、根拠があってのことだろうな。私を愚弄するのであれば承知はせぬ――」
「――あんたさ」
 再び。男を遮って、ノースは声を上げた。 
「自分のこと『騎士』『騎士』って言ってるけどな。騎士ってのは、まず自分から名乗るもんじゃないわけ?」
「うぬっ……なんだと?」
 思わず、男は唖然とした表情になった――そこへすかさず追い矢を放つ。
「名乗りを上げて正々堂々ってのが、正しい騎士のスタイルなんだろ? だったら、俺のことを知ってる以上、その俺に名乗るのは『義務』ってもんじゃない?」
 男の紅い瞳を正面から見据えると、とどめとばかりにニヤリと言った。
「違いますか? 騎士殿?」
「むぅ……」
 と、男。
「……たしかに……私としたことが、礼節を軽んじるとは……」
 怒りも何処へやら。ノースのかなり無理矢理な指摘に、大いに納得していた。
 長剣を降ろし、鞘に収めると、静かに一礼する。
「失礼をした。私は、誇り高き慈母リリスに仕える女神の騎士――ホリー・キープ」
「『キープ』…………ね」
 と、ノース。ちょっと首を傾げもするが、おおかた満足げな表情になって相槌を打った。
「――なるほど。よく似てる」
「デフリーのことか?」
 男――ホリー・キープは、極めて心外そうに眉を顰める。
「あんな未熟者と、一緒にしてもらいたくはないな」
「結構な言い草だな。お前の妹なんだろ」
「弟だ」
「あ? そーだったかな?」
 などと、適当な受け答えをしながら、立ち位置を変える――早い話、この場を逃げ越えるべく、その距離を見計らっていた。〈気が付かない内〉や〈いつの間にか〉を装って、相手の背後、つまりは行くべき先へと徐々に歩を進める。
 やがて、ホリー・キープを起点とする境界線を越え、一歩、向こう側へと足を踏み入れた。
「まぁ、何はともあれだ……」
 ゴホンと、ひとつ咳払い。
 そして――、
「騎士ともあろう者が、待ち伏せに、闇討ち。あげくに、予告の使者も寄こさずに決闘を強行するなんて恥ずかしくないのか!?」
 急に声音を変えると、〈女神の杖〉を強く床に突き、自称・女神の騎士を正視した。
「いいや、恥ずかしいね! 実にみっともない! それで騎士などとは笑止千万!」
 派手な動作――具体的には、首を振っての目線移動と、セリフに合わせての手の上下――を加え、かなり尊大な口調で言い放つ。
「女神もさぞやお嘆きだろう。このような不甲斐ない者に、任を与えているのだからな。偉大なる我らが母の名を汚した大罪、どう償うつもりか!」
「!?――ハッ!」
 と、ホリー・キープ。思わず、膝を折る。
「も、申し訳ない!」
 詫びる必要どころか謂われもないのだが、ノースの物言いがあまりに自信たっぷりだったせいか、完璧にその気になってしまっていた。条件反射というべきか――普段より命令され、それに慣れてしまった者の悲しい習癖である。
「女神よ、お許しを……」
 顔を伏せ、懺悔する。
 それを見て、
「よしよし。反省すれば、女神サマもお許し下さるぞ……」
 カニ歩きでそろそろっと数メートル移動すると、
「おお! 女神は許すと申されている。なんて慈悲深いんだ。感謝せよ〜」
 言うなり、ノースは男に背を向け、屋敷の奥へと走り出した。
 それを視界の隅に捉えながらも、なお姿無き女神に向かい平伏する男。
 しかし、
「あぁ〜! にぃーちゃんまってよ〜」
 騒々しく駆けていく白と茶金の毛玉。それが巻き上げた綿埃が口に入った途端、我に返った。
「!――こ、このっ! おのれぃ」
 一瞬とはいえ逃げる時間を与えた悔しさに、まんまと引っかかってしまったという気恥ずかしさが合わさって、怒りも倍増。ホリー・キープは、抜き身の剣で埃を一刀両断すると、すぐさま破廉恥な侵入者を追いかけた。
「貴様! 女神の名を語るとは、なんと卑劣な!」
「ははっ……もうちょい引っかかってるかと思ったけどな」
 ノースは笑いながらも、走るのを止め、男の方へ向き返った。
 端から走って振り切れるものではなかったし、構造の知れぬ屋敷の中を逃げ回っても時間を無駄にするだけだ。下手に罠にでも引っかかろうものなら、それこそ目も当てられない。あわよくばとも思ったが、相手の立ち直りが早い以上、ここは大人しく相手をする他はなかった。
「てっきり女神様の言いなりなんだと思ってたけど、結構まともじゃないか」
「黙れ!」
 女神の言いなり――その言葉が相当に癪だった様で、長髪の剣士は、一際鋭い声を上げて斬りかかってくる。
 それを〈女神の杖〉で受け止めると、今度は退くことなく弾き返した。そのまま反撃の機会を与えぬ様、石突きで足を払う。見かけに反して石突きに重心が据えられている神器である。多少、手元の安全に不安を残すものの、こちらを主として扱う方が長けていた――もとより、その一撃は手傷を負わすことが目的ではないため、容易に避けられてはいたが。
 それでも、ホリー・キープは体勢を崩し、大きな歩で後退する。その隙を狙って、すかさずヒョウが足――丁度、防具が当たっていない膝の裏――に牙を立てた。
「クソッ! 獣風情が生意気な!」
 流石に効いたのか、精細な面相から下劣な悪態が飛び出す。
 しかし、その後はあくまでも優雅に。
 マントを靡かせるべく、わざわざそのようになる姿勢を取って、ガップリ噛みついている獣を振り解き、そして付いてもいない血糊を刀身から切ると、左手で前髪を掻き上げた。
「フッ、効かぬわ」
「う〜ん……偉いねェ」
 真面目に相手をしている身としては、かなり頭の痛い行動でもあるのだが、ここまで自分のスタイルを貫くことに執着出来るのなら、「偉い」としか言いようがない。むしろ天晴れである。
 ノースは、〈女神の杖〉を引き戻すと、再び逆手――つまり、正方に持ち直して、静かに床を叩いた。それを合図にするかの様に、ヒョウが軽やかに滑り込んで、ピッタリと寄り添う。
「おのれ。獣の、しかも子供の手を借りるとは……貴様には戦士のプライドが無いのか?」
 語気は鋭く、長剣も正眼に構えたままで、ホリー・キープが問う。
 ノースはあっさり答えた。
「無いね」
 あえて正面から見返すと、商品説明でもする様に、淡々と理由を告げる。
「残念だけど、俺は戦士でも傭兵でも、まして騎士なんかじゃないからな。たかが殺し合いに、ご立派な主張をくっつける必要なんて無いし、怪我しないで済むなら、卑怯でも何でも構わないね」
「俗物が……貴様等が滅したのも知れるというもの」
『人のこと言えないだろ』
 その言葉は、ノースの口だけでなく、別のところからも同時に放たれた。蝋燭が照らす範囲よりも先、埃と暗闇に覆われる廊下の向こうからである。
 紛れもなく男声ではあるが、幾分か幼さも感じさせる若い声――。
「デフリーか……」
 ホリー・キープがゆっくりと振り返る。
 続き、ノースも視線を向ける頃には、すでに、彼は明かりの下に姿を現していた。
「『どんな時も優雅に華麗』が、兄貴のモットーじゃなかったのか?」
 少々白くなっているが、間違いなくデフリー・キープである。
 アルバでジャグリングをしていた時と同じ服装、同じ髪型。鳩こそ連れていなかったが、あの時と同じ剣を抜き身でぶら下げている。
「たかが犬コロに目くじら立てるなんざらしくねえぜ」
 弟の指摘を受けてか、ホリー・キープは剣を降ろすと、自分とよく似た風貌の少年に尋ねた。
「無事だったか……。ラムバーダンにしてやられたものだと思っていたが」
「あぁ、やられたよ。こっぴどくな」
 デフリーは軽い調子で頷き、兄の背後で棒立ちになっている人物に目を向けた。
 ノースは、ちょっと苦笑いしてから肩をすくめて見せる――その足下では、ヒョウが愛想よく尻尾を振っていた。
 その一人と一匹に、一度とニヤリと歯を見せてから、デフリーは兄へと視線を戻して真顔になった。
「ところで兄貴。母上が、ガルーダの巫女を連れてきただろ。今、どうしてるんだ?」
 単刀直入な問いに、同じ紅い瞳を持つ男は眉を寄せる。
「お前に言う意味がどこにある。それに、わざわざ敵に教えるようなものだ。答えられるわけが無かろう」
「……そうか」
 と、デフリー。その返答で合点がいったのか、納得顔でボソリと呟いた。
「礼拝堂にいるんだな」
「デフリー!」
 瞬時に――『失言』を覆い隠すべく、ホリー・キープが声を上げる。
 が、もちろん侵入者にしっかり聞き取られていた。
「礼拝堂?」
 さっそく尋ね返す、ノース。その足下で、ヒョウが彼の真似をして首を斜めに傾けた。
「中庭に建てられた女神リリスを奉った小堂さ。この南館を出て左――今はズタボロになっちまってるが、バラ園の先にある」
「やめろ!」
 再び叱咤が飛ぶが、デフリーはお構いなしに続けた。
「女神を奉った部屋で女神の巫女を監禁するなんざ、母上もずいぶん茶目っ気があるじゃねぇか……ま、女神違いだけどな」
 悠然と歩み寄ると、ちょうどノースとホリーの間に、喧嘩の仲裁でもするかの様に割って入る。しかし、その手には剣。そして刃は実兄へと向けられた。
「どういうつもりだ?」
 一連の発言に加えて、この行為。我慢も限度に達したのか、ホリー・キープはかなり険しい表情になり、同じ言葉を語気を強めて繰り返した。
「どういうつもりだ。デフリー」
「こういうことさ」
 と、弟。
「もうやめよう。分かってんだろ、兄貴にも」
 妙にサバサバした、ふっきれたような表情で、軽く笑みなど浮かべている。
 反対に、兄は眉を吊り上げたまま目を閉じた。
「よく分かった。愚か者が……すっかり懐柔されおって。おおかた、そこのラムバーダンにあることないこと 吹き込まれたな」
「失敬だな!」
 すかさず、ノースが異を唱える。かなり大きな声を出したものの、顔は笑っていた。
「吹き込んだんじゃなくて、丸め込んだんだ」 
「黙れ!」
 三度、ホリー・キープは叫んだ。心なしか弟に向けたものより怒りの色が濃い。
 そして、降ろした剣を持ち上げ、デフリーに向かい構え直す。
 もっとも、彼の狙いはあくまで侵入者である。殺気は、弟を素通りして後ろにいるノースへと突き刺さった。
「黙らずば、まずはその二枚舌を切り落とすぞ!」
「はいはい」
 チロリと舌を出して、ノースは小首を傾げた。
 殺気もどこ吹く風。まったくの涼しい顔である。
 しかし、彼はラムバーダン人である。その異質な瞳から放たれる視線は、何もせずとも相手に威圧感を与える――たとえ本人にそのつもりがなくともだ。
 殺気と威圧感――その間で堪りかねて、今度はデフリーが声を上げた。
「オイ! 聞いてなかったのか? さっさと行っちまえよ!」
 それはかなりせっぱ詰まったものであった。態度ではキッパリと反抗を示しているものの、やはりその胸中は穏やかではないのだろう。何より、弱みをさらけ出してしまった相手にいつまでも見られているというのが我慢出来ないらしい。
「目障りだ! ムカつくんだよ! 早く消えろってんだ!」
「あ〜、わかったわかった……」
 散々兄弟からの罵声を浴び、ノースは苦笑いのまま後ろに下がった。
 四、五歩はゆっくり……そして反転すると、最後に、まるで釘でも刺すかの様にこう言った。
「あんまり無理するなよ」
「るせぇ!」
「行かすものか!」
 デフリーが怒鳴り、同時にホリー・キープが剣を振り上げる。
 しかし、刃は目標に届く前に別の刃によって阻まれていた。
 ギィン――!
 鈍い音が上がり、デフリーが兄・ホリーの一撃を横手で受け止めている。
 それを合図にして、ノースは身を翻すと廊下を走り出した。もはや、止まることも、振り向くこともない。一方、ヒョウはというと、すでに五秒ほど差をつけて先行している。
「!?――えぇいっ! 何を考えている!」
 遠ざかっていく二つの影に忌々しげな視線を送ると、ホリーは剣を弾いた。長身の上、体格もいい彼の腕力はかなりのもので、勢い余ってデフリーはよろよろと後退する。
 それでも何とか持ち直すと、真正面に剣を構え直し、せせら笑った。
「だからこういうことさ。悪ぃけどな、兄貴の見せ場はもうないぜ」
「裏切る……そういうことか?」
 と、ホリー。
「この地を、邪神ガルーダとバランゲル家の重圧から解き放ち、リリスが新たな女神となって民を導く……その崇高な目的を忘れたわけではあるまいな? そのために命を賭して戦った同志たちの犠牲を無駄にする気かっ?」
「そもそも、叛乱なんざ起こしのが間違いだったんだよ。王家を追い出したからって、何ひとつ良い方に転がらなかったじゃねぇか。結局、全部無駄だったんだ。それに……」
 そこまで言うと、デフリーの顔から笑いが消えた。
 一度、ゆっくり息を排し、そしていかにも諭すような――むしろ、兄が弟を嗜める時のような声音で呟く。
「……それに、兄貴も気付いてるだろ? 母上の目的は、国や民のためなんかじゃねぇってことぐらい」
「そんなことは始めから分かっている」
 呆れるほどにあっけなく、ホリーは弟の言葉に頷いた。
「母上――いやリリスは……」
 と、言いかけてから、己の迷いを断つ様に首を振った。
「私は、盟主ガーデンに従うまでだ。その障害になるものはすべて排除するのみ!」
 高らかに叫ぶと、剣を振りかざす。銀色の刃が、鈍い光を放ってデフリーへと突きかかった。
「意固地野郎っ!」   叩き付けるような怒号。それと共に、デフリーは剣を横なぐりに払う。
 二つの鋼鉄が衝突し、火花と金属音を上げた。そして、ほとんどその反動で、相対する兄弟は剣の交差点を中心に位置を移動させる。申し合わせたかのように、お互いが等距離を置いて離れた。
「あくまで、奴等を庇い立てする気か?」
 息を付く暇も与えず、再び、ホリーは長剣を繰り出す。
「そこまで堕落したか、デフリー!」
「庇ってるわけじゃ無い!」
 これじゃあ、ほとんどあいつの受け売りだ――と、内心苦笑いのデフリー。やや押され気味ではあるが、巧みにその切尖を裁いて立ち回る。
「俺には、もう女神も王家もどうでもいいだけだ。勝手に……したいようにやるだけさ!」
「若造が!」
 嗤う、ホリーである。自分も十分若造なのを棚に上げ、憤慨した。
「目先しか考えられないお前なぞ、もはや必要ない!」
 声と共に長剣を撥ね上げる。
 刃が擦れ、そのまま迎え打ちの形となって、デフリーの肩口をかすめた。傷自体は大したことはない、だが斬り付けようとした前傾姿勢を崩されて、体が大きくぐらつく。
「!?」
 デフリーが外れた視線を戻し、次に見たものは、眼前に迫る銀色の閃光であった。
「少しは頭を冷やすんだな!」
 兄の咆哮。
 次の瞬間――。
 デフリーは、まともに後方へ吹っ飛んでいた。

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